恵庭事件(読み)えにわじけん

改訂新版 世界大百科事典 「恵庭事件」の意味・わかりやすい解説

恵庭事件 (えにわじけん)

自衛隊合憲性がはじめて本格的に裁判所で争われた事件。北海道千歳郡恵庭町(現,恵庭市)にある陸上自衛隊の演習場付近で酪農業を営む野崎(健美,美晴)兄弟は,自衛隊の実弾射撃演習などで乳牛に多くの被害(流産や乳量減少など)を受け,たび重なる抗議も無視されたので,1962年12月11,12日,自衛隊の演習本部と射撃陣地を連絡する電話通信線を数ヵ所にわたって切断した。これが自衛隊法121条(……その他の防衛の用に供する物を損壊し,又は傷害した者は,5年以下の懲役又は5万円以下の罰金に処する)に違反するとして,野崎兄弟は,63年3月7日,札幌地裁に起訴された。刑法261条の器物損壊罪ではなく,その約2倍の法定刑をもつ自衛隊法121条があえて適用された背景には,自衛隊も創設以来10年近くたって国民の間で広く認知されてきているとする判断が検察側にあったからであるが,公判では,被告人・弁護団は,自衛隊および自衛隊法の違憲性・反国民性を強く主張し,裁判所も弁護団の要求をいれて自衛隊の実態審理を行ったので,本格的な憲法9条裁判として国民の注目を浴びた。ただ,67年3月29日に言い渡された札幌地裁判決は,大方の予想に反して,自衛隊や自衛隊法の合・違憲性についてはなんら言及せず,被告人の行為は自衛隊法121条の構成要件に該当せず無罪,というものであった。世に“肩すかし判決”ともいわれたが,検察側が控訴をせず,一審判決が確定した。
自衛隊 →戦争の放棄
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「恵庭事件」の意味・わかりやすい解説

恵庭事件
えにわじけん

自衛隊法が民間人に適用された初の事件であり、4年間の全訴訟過程において自衛隊(法)の合憲・違憲が争われた。1962年(昭和37)12月11日北海道石狩支庁(現石狩振興局)管内の恵庭町(現恵庭市)の自衛隊島松演習場内で、牧場経営者野崎兄弟が演習用通信線数か所を切断した。演習場付近ではすでに1955年以来ジェット機の射撃訓練、大砲実弾演習によって難聴家畜の乳量・受胎率低下などの被害が続いており、野崎兄弟はたび重なる抗議のすえ、万策尽きてこの挙に出たものであった。事件は当初通常の器物損壊事件として捜査されたが、1963年3月札幌地検が自衛隊法第121条違反(防衛用器物損壊)として起訴するや、自衛隊の違憲性を問う裁判として注目を集めた。以降、判決まで40回にわたる公判で、多数の憲法学者と400人に及ぶ大弁護団が自衛隊違憲論を展開し、地裁の憲法判断が期待された。しかし1967年3月の判決は憲法判断に触れず、両被告の行為が自衛隊法第121条の構成要件に該当しないとして無罪を言い渡した。検察側の控訴放棄で判決は確定したが、新聞は「肩すかし判決」と評した。

[荒川章二]

『深瀬忠一著『恵庭裁判における平和憲法の弁証』(1967・日本評論社)』『「恵庭裁判」(『法律時報』臨時増刊・1967・日本評論社)』『田中二郎他編『戦後政治裁判史録 第3巻』(1980・第一法規出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「恵庭事件」の意味・わかりやすい解説

恵庭事件
えにわじけん

自衛隊の合憲・違憲をめぐる争い。 1962年 12月 11,12日,北海道恵庭町 (現恵庭市) の陸上自衛隊島松演習場で,隣接地の牧場主野崎兄弟が自衛隊の射撃指揮所と銃砲隊本部の間の通信線7ヵ所をペンチで切断,自衛隊法 121条の「防衛の用に供する物の損壊」罪で起訴された事件。被告側は裁判で自衛隊違憲論をもって国側ときびしく対決し,自衛隊が憲法に違反するかどうかについて初めて裁判所の判断が示されるのではないかと注目された。しかし,67年3月札幌地方裁判所は「切断された通信線は,自衛隊法にいうその他の防衛の用に供する物にあたらない。したがって憲法判断をするまでもなく被告2人は無罪」と憲法判断肩すかしの判決を下した。検事控訴もなく無罪が確定した。

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