自衛隊の任務や部隊の組織・編成、行動、権限、隊員の身分取扱いなどを定めた法律。防衛省設置法とあわせて「防衛二法」と称せられることが多い。
[松尾高志]
自衛隊は、第二次世界大戦後の連合軍占領下で朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)(1950年6月25日)に際し、連合軍総司令官マッカーサーからの首相吉田茂宛書簡(同年7月8日)によって創設された「警察予備隊」を前身とする。その後、サンフランシスコ講和条約(対日講和条約)発効(1952年4月28日)後、「保安隊」と改称(同年10月15日)され、1954年(昭和29)7月1日にそれを改組して発足したものである。自衛隊法案は同年6月2日に国会で可決、成立し、同月9日に自衛隊法(昭和29年法律第165号)として公布され、7月1日に施行された。
[松尾高志・山内敏弘]
自衛隊は日本の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的として、直接侵略(外国からの直接的な武力攻撃)や間接侵略(外部の国による教唆または干渉によって引き起こされる大規模な内乱や騒擾(そうじょう))に対し、わが国を防衛することを主たる任務とする。また、必要に応じて公共の秩序の維持に当たることとされている(3条)。
直接侵略に対しては、武力攻撃が発生した事態、または発生する明らかな危険が迫っていて国の防衛をする必要があると認められた場合に、国会の承認を得たうえで内閣総理大臣が自衛隊の出動を命ずることができる(76条)。緊急の必要がある場合には国会の承認なしで出動を命ずることができる。ただし、その場合はただちに国会の承認を求めなければならず、国会で不承認の議決があったときは、自衛隊の撤収を命じなければならない(武力攻撃事態法9条)。なお、防衛大臣は防衛出動命令が発せられることが予測され、必要があると認めるときは、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊に対し出動待機命令を発することができる(自衛隊法77条)とされているが、1954年の発足以来、防衛出動命令、防衛出動待機命令が発せられたことはない。
また、間接侵略その他の緊急事態に際しては、一般の警察力で治安を維持することができないと認められる場合には、内閣総理大臣は自衛隊の出動を命ずることができ(78条)、これを「治安出動」とよんでいる。この場合、出動を命じた日から20日以内に国会の承認を得なければならず、これについて国会で不承認となったときや出動の必要がなくなったときは、すみやかに自衛隊の撤収を命じなければならない(同条)。防衛出動待機命令と同じく、治安出動待機命令も規定されている(79条)。内閣総理大臣の命令によるほか、都道府県知事の要請に基づき治安出動するケースも規定されている(81条)。なお、治安出動時に出動した自衛官の行動に際しては警察官職務執行法を準用する(89条)こととされている。これまでのところ、治安出動命令、治安出動待機命令はともに発せられたことはないが、60年安保反対運動の昂揚(こうよう)に際して、首相岸信介が治安出動を命じる意向を示し、それに対し当時の防衛庁長官赤城宗徳らの反対意見により実現をみなかったことがある。
このほか、いわゆる平時の自衛隊の行動については、「海上における警備行動」(82条)、「災害派遣」(83条)、「地震防災派遣」(83条の2)、「領空侵犯に対する措置」(84条)などが規定されている。災害派遣はたびたび実施されているが、海上警備行動については1999年(平成11)3月に発生した北朝鮮のものと思われる日本海での「不審船」事件に際して、自衛隊法施行後、初めて適用された。
[松尾高志・山内敏弘]
なお、冷戦後、自衛隊の海外派遣という新しい事態が生まれているが、これらは従来ほとんどが、自衛隊法第8章の「雑則」を根拠にしていた。1991年の湾岸戦争後に海上自衛隊の掃海部隊がペルシア湾に派遣されたが、これは自衛隊法第84条の2「機雷等の除去」が根拠とされた。また、1992年には国際平和協力法(PKO協力法)の制定と国際緊急援助隊派遣法の改正が行われ、自衛隊にその任務が付与されたが、それらに対応して「国際平和協力業務の実施等」、「国際緊急援助活動等」が加えられた(法改正により、いずれも現在は84条の4「後方地域支援等」)。PKOに関しては、1992年に初めてカンボジアに自衛隊が派遣され、1993年にはモザンビーク、1994年にはケニアとザイール(ルワンダ難民救援)、1996年からはゴラン高原に自衛隊が派遣されている。国際緊急援助隊としては1998年に初めてホンジュラスにおけるハリケーン発生に伴い自衛隊が派遣された。
また、1996年の日米物品役務相互提供協定(ACSA(アクサ))締結に伴い、自衛隊法に「日米物品役務相互提供協定に基づくアメリカ合衆国の軍隊に対する物品又は役務の提供」(現在は100条の6「合衆国軍隊に対する物品又は役務の提供」)が加わり、日米共同訓練、PKO、国際緊急援助の際の米軍への自衛隊の兵站(へいたん)協力が可能となった。また、1999年の周辺事態法の施行とACSA改定により、「周辺事態」に際しても、米軍への兵站協力が可能となり、それに伴い自衛隊法に「後方地域支援等」(84条の4)が加えられた。
[松尾高志・山内敏弘]
2003年(平成15)には、武力攻撃事態法の制定、安全保障会議設置法改正とともに「有事関連三法」の一つとして、自衛隊法も大幅に改正された。
改正の第一は、防衛出動命令の決定については武力攻撃事態法第9条の定めるところによって国会の承認を受けるという記述が加わった(76条)。
第二は、これまで防衛出動待機命令は国会の承認が必要なかったが、事後ではあるが国会承認が必要となった。また、待機命令下で「展開予定地域」での防御施設等(陣地など)の構築が可能となり(77条の2)、その職務に従事する自衛官の武器使用、土地の使用、立木の処分、家屋の形状変更も可能となった(92条の4・103条の2)。
第三は、防衛出動命令の国会承認は原則として事前であり、緊急時は事後承認である点は同じであるが、その規定は武力攻撃事態法に盛り込まれた。
第四は、自衛隊法第103条「防衛出動時における物資の収用等」の実施のための政令が制定されることとなった。
第五は、防衛出動下で自衛隊が武力行使するにあたって、適用除外が必要とされていた防衛省以外の他省庁所管のさまざまな法令について適用除外の措置がとられた。たとえば、戦死した自衛官の遺体の処理について、これまでは墓地、埋葬等に関する法律で自治体の長の許可が必要であったが適用除外となり、あるいは野戦病院の設置も医療法の適用除外で可能となった。
[松尾高志・山内敏弘]
さらに、2006年12月には防衛二法が大幅に改正され(2007年1月施行)、防衛庁が防衛省へ移行するとともに、自衛隊の任務も変更された。すなわち、自衛隊の本来任務を規定した自衛隊法第3条に新たに第2項が挿入されて、周辺事態に対応する自衛隊の活動や自衛隊の国際協力活動が自衛隊の本来任務のなかに入れられることになった。それに伴って、従来は「雑則」のなかにあり付随的任務とされてきたこれらの活動は、自衛隊法の本則のなかに組み込まれた。このような改正に関しては「専守防衛」の原則を放棄するものとする批判も出されている。
[松尾高志・山内敏弘]
『小針司著『防衛法概観』(2002・信山社)』▽『山内敏弘著『立憲平和主義と有事法の展開』(2008・信山社)』
(金谷俊秀 ライター / 2013年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1954年7月に自衛隊法によって設けられた軍事組織。対外的にはJapan Defence Forceと称する。…
※「自衛隊法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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