においは有香分子の嗅覚(きゆうかく)(嗅上皮)刺激の結果で生ずる知覚で,種類(質),強弱,快・不快ならびに嗜好は主観的であるが,通常の健康状態では感受性と応答には大差がない(嗅覚)。においの種類に関係なく,いやな,または不快なにおい知覚の生ずる現象が悪臭あるいは悪臭公害と呼ばれ,その原因物質が悪臭物質である。一般に悪臭は複合臭で,一過性,頻発などの特色をもつ大気汚染の前兆として,人々に極端な感情的反応を起こさせる。日本では公害苦情の1/3を悪臭が占め,警察が検挙した公害事犯の約2割に達している。
悪臭の発生は自然,産業,生活のあらゆる領域に及び,業種,規模,発生様態も千差万別であるが,苦情原因の大半は人間の活動に伴うものである。悪臭苦情の多い業種としては,農・畜産業,飼肥料製造工場,食品製造工場,化学工場(紙・パルプ,ゴム,薬品,油脂,プラスチックなど)などのほか,ごみ,下水,屎尿(しによう)処理,火葬場,屠畜場(とちくじよう)などのサービス業があげられ,また住宅,河川,湖沼などが発生源となることもある。おもな悪臭物質は分子量30~300で,硫化水素,メルカプタン類,サルファイド類,アンモニア,アミン類,有機酸,アルデヒド類,インドール類,ケトン類,スカトール類,アルコール類,フェノール類,鎖状・環状炭化水素類,塩素化合物,二硫化炭素など非常に多く,その組合せと存在割合で臭気の強度と質が著しく変わる。
最初に現れる影響は心理的,精神的なものであるが,悪臭の生理学的影響には,呼吸リズムの異常や咳,刺激臭による血圧上昇や動悸,消化液分泌や水分摂取の低下による食欲不振や吐きけ・嘔吐,嗜好やホルモン分泌の変化による生殖系の異常,嗅覚減退などがあげられる。もっとも頻度の高い影響は広義の健康に対するもので,不眠症,安眠妨害,精神的不安,落着きを失う,いらいら,ヒステリーなどの精神的影響で,頭痛,催吐,嘔吐がこれに次ぐ。また,アレルギー症候,アトピー性皮膚炎,鼻炎もみられ,のどの刺激,呼吸困難,涙目,疲労感,喘息発作,神経過敏,下痢,体重減少,発熱,胸苦しさを引き起こすことも多い。
悪臭の評価には特定の物質濃度でとらえる機器分析法も用いられるが,においを呈する物質の数が非常に多く,とくに多種が混在している場合の分析,定量はきわめて困難である。このため結局は,人間の嗅覚による感覚測定法(官能測定法)が基本となり,物質の閾(いき)濃度(50%の人が検知,または認知する濃度)に対する倍数,あるいはその臭気が無臭に感じられるまでに要する閾希釈倍数(臭気濃度とも呼ぶ),さらには臭気強度,不快度の感覚尺度表示(0は無臭,1は検知,2は認知,3は楽に感知,4は強い,5は耐えられない)などウェーバーの法則に基づく精神物理学的評価法が質の判定とともに採用される。実際の感覚測定は,ポリエステル製の袋に無臭空気を満たした後,所定の濃度になるまで試料を注射器で注入して被験者ににおいの有無を判定させる三点比較臭袋(においぶくろ)法,測定試料の温度,湿度による影響を排除し,連続的または段階的に希釈倍数が変えられる装置を用いるサイクロオルファクター法,注射器を利用して試料ガスを鼻孔の前に押し出して被験者の半数がにおいを感ずる希釈率を求める注射器法が利用され,現実的評価法として普及しつつある。
地域の無秩序な開発と拡大,企業モラルの欠如の一方で,公害に対する住民意識は向上しており,悪臭問題は深刻化している。従来の防除は,画一的な応急策で糊塗されがちで,最近,損害賠償,建設の差止めなどの判決を見るに至っている。悪臭対策は,対象となる臭気の影響範囲を知ることから敷地境界でにおいがなくなるまで徹底しなければならず,その目的はまず苦情,陳情がなくなるような状況をつくり出すことで,対策の目標は,敷地境界および着地点で閾希釈倍数(瞬間値)が10以下(新興住宅地では4~6以下)が推奨されている。実際に利用される悪臭防止技術のおもなものとしては,(1)高煙突による大気希釈法,(2)臭気成分を水,酸,アルカリ,オゾン水,塩素剤や酸化剤溶液によって物理的に,または吸収(反応)除去する湿式吸収法(対象成分,廃液処理,装置の腐食性,液の飛散などの問題がある),(3)活性炭やイオン交換樹脂などの固体を利用して吸着させる吸着法(対象成分の選択性,共存物の影響,吸着剤再生による二次公害などの問題がある),(4)悪臭ガスを燃焼炉で直接または触媒燃焼させる燃焼法(700~800℃で燃焼させる前者の方法ではアルデヒドなど中間生成物,二酸化硫黄,窒素酸化物の生成ならびに高い燃料費が,また,350~400℃で白金などの触媒を用いる後者では高価な触媒,触媒毒による性能劣化,共存物による不完全燃焼,過酸化物の生成などの問題があり,両方法とも不安定な発生状態には不向き),(5)土壌のイオン交換機能および土層を通過する際のガスの凝縮を利用して脱臭する方法(大量の土壌を必要とし,土壌の交換時期の判定および交換が容易でない),(6)活性汚泥中に悪臭ガスを送気し,汚泥生物で分解,消化させる活性汚泥法(高濃度臭気には不向きで,かつ汚泥臭の発散が避けられない),(7)より強いにおいをもつ芳香剤で元の臭気を感覚的に隠ぺいさせるマスキング法(添加剤のにおいが強く,それによる被害や苦情が現れる),(8)植物精油などの中和剤で悪臭成分を反応吸収するとともに,それ自体のにおいで臭気を弱め,無臭または自然臭にする方法,(9)工程,原料の変更などがあげられるが,さらに大規模なものとしては発生源の密閉化や植樹堤,防臭壁,ウォータースクリーン壁などで地表を流下する臭気を遮断,浄化したり,工場および住宅の移転など地域計画的対策なども行われる。またこれらに加えて定期的な臭気調査,モニターの依頼,公的機関との連携,地元民の事業場の見学と公害防止協定の締結などを実施することも必要である。
昭和40年代に入って,産業活動に伴う悪臭が大きな社会問題となり,〈公害対策基本法〉でも悪臭が典型公害に含められ,1971年に〈悪臭防止法〉が制定された。〈悪臭防止法〉の適用は,工場・事業場活動に限られている。特定悪臭物質としては硫化水素,メチルメルカプタン,硫化メチル,二硫化メチル,アンモニア,トリメチルアミン,アセトアルデヒド,スチレンなど22種を指定し,その規制基準を,地域別に気体排出口,敷地境界,排出水について定めている。気体排出口には規制式(q=0.108He2・Cm。qは排出限度m3/h,Heは有効煙突高さm,Cmは基準濃度ppm)が適用され,機器分析による物質濃度規制を特色とする。しかし大半の苦情に対応しきれず,1995年の改正では,人の嗅覚を用いた臭気指数による規制基準が導入された。
執筆者:西田 耕之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
におい(臭気)の記述は、主観を伴うし個人差も激しいのできわめてむずかしいが、いちおうのところ、においのうちで人間に不快感を与えるものを悪臭ということになっている。嗅覚(きゅうかく)には未解明の部分が多いので、何が悪臭の源かを定めるのもむずかしく諸説あるが、悪臭防止法では、アンモニア、メチルメルカプタン、硫化水素、硫化メチル、二硫化メチル、トリメチルアミン、アセトアルデヒドなど22種を特定悪臭物質としている。通常では、悪臭の元凶とされるインドールやスカトールなどは、きわめて低濃度に希釈すると非常によい芳香となり、このような事実からも、悪臭と芳香の間に明確な一線を引くことは困難である。
[山崎 昶]
『日本化学会編『においの化学』(1976・日本化学会)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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