悪はふつう善の反対語とされている。しかし〈よい-わるい〉という日本語の対比は,英語の〈good-bad〉と同様に,道徳的意味だけには限られない。例えば,〈美-醜〉〈吉-凶〉〈幸-不幸〉なども〈よい-わるい〉の区別に含まれる。したがってこれらの反対概念の組の中で〈善・悪〉という形で対比される場合を,道徳的意味に限定された〈よいこと・わるいこと〉を意味するものとして考えることができよう。ただし漢語の〈悪〉は元来,もっと広い意味を持っていた。〈悪〉という字の〈亜〉は古代の住居の基址を上から見た形で,押さえつけられたいやな感じをあらわすとされるし,北京語の〈悪心〉は,胸がつかえたときの不快感をいう。
悪とは何かという問題は,昔から倫理学の難問とされてきたが,西洋と東洋ではかなり違った考え方が見られる。西洋では,古代キリスト教の教父たちがこの問題と取り組んでいる。キリスト教の正統教義では,絶対者としての神が宇宙と人間を創造したと考えるので(〈無からの創造〉),神はなぜ悪をつくったのかという疑問が生まれる。言いかえれば,神はいっさいの悪の性質を持たない最高善の存在であるのに,その神が創造した世界に悪が存在するのはなぜなのか,という難問である。この場合,教父たちの間には二つの考え方の対立があった。一つはプラトンの宇宙形成説に近い考え方である。プラトン哲学では形相と質料の二元論をとる。形相はもののかたちにみられる理念であり,霊的要因を示す。質料はその素材であり,物質的要因を示す。彫刻家が素材からつくり出す形相は,彼の心の中にある霊的直観を示している。これと同じように,神は混沌とした形のない質料に霊の息吹を吹き込んで形相を与え,宇宙を形成したとプラトンはいう。この場合,形相は善美なもの(カロカガティア)であるが,質料はこれに抵抗する傾向,すなわち悪への傾向を持つという考え方が,新プラトン主義やグノーシス主義やストア哲学の中にあった。2世紀ころの教父アテナゴラス,殉教者ユスティノス,ヘルモゲネスなどはこのような考え方から影響を受け,神は悪への傾向を含んだ質料から世界を形成したと説いた。つまり,神そのものは絶対の善なのであるが,宇宙の素材である質料の中に悪があった,したがって悪をつくったのは神ではない,というのである。この宇宙形成説は,倫理学の見地から見ると,大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)である人間を対応させ,人間の本性の中にある形相と質料,霊と肉,善への傾向と悪への傾向の対抗関係を認める人間観に立っている。その点で,この考え方は,心理学的にみた人間性の現実の姿と適合したところがある。
けれどもこの考え方に従うと,世界を形成した神に先立って,宇宙の素材である質料が存在したことになる。したがって,〈無からの創造〉という正統的教義に反する結論に導かれる。このため,オリゲネス,テルトゥリアヌスら多くの教父は形成説に反対し,神は質料も含めて,宇宙を無から創造したと主張した。この宇宙創造説の難点は,先に言ったように,神はなぜこの世に悪をつくったのか,という疑問が生まれるところにある。この難問を克服するために,悪とは〈善の欠如〉である,というキリスト教倫理学の定義が生まれる。〈善の欠如〉とは,簡単にいえば,悪それ自体は本来存在しないという考え方である。言いかえれば,善という存在と悪という存在の二つがあるわけではなく,悪とは善の分量が少ないか,ゼロになった状態を意味するにすぎないというのである。ではいったい,悪がこの世にはびこるのはなぜなのか。それはアダムが神の命令に背いて堕落したように,宇宙と人間を創造した神の意志にそむく人間の本性的傾向(原罪)の中にある。このような考え方は,アウグスティヌスやトマス・アクイナスに受け継がれて,キリスト教の正統的人間観になった。この考え方は理論的には形相と質料の二元論を克服しているが,倫理学や心理学の立場からみると難点がある。例えばカントは,人間の道徳的意志を理性的な善への意志であるとしたが,その根底に,善意志に反する根本悪の傾向を考えなくてはならなかった。ユングは,キリスト教世界では〈悪はどこから来るか〉という問いは答えられていないと言っている。
これに対して東洋の人間観では,善と悪を神に結びつけず,人間性に内在する二つの心理的傾向とみる。孟子は性善説を唱え,荀子は性悪説を唱えたが,この二つの説は理論的には矛盾しない。孟子の考えるところでは,人間の本性には良心と放心という二つの傾向がある。良心は他者と心情的に共感し,善へ向かおうとする心理傾向であり,放心は外界の事物に動かされて欲望を追求する心理傾向である。孟子は良心に重点を置いて,人間の本性は善であるとした。これに対して荀子は,放心に重点を置いて倫理や政治の問題を考え,道徳は人為(偽)つまり人間の努力によって礼儀を定め,放心に向かう傾向を抑制することであると主張した。したがって荀子の性悪説は,孟子の説の一面を補うものである。孟子の良心論に影響を受けた宋学の理気説では,人間の本性に〈本然の性〉(理)と〈気質の性〉(気)を区別するが,前者は良心,後者は放心に当たると言っていいであろう。儒教の人間観では,放心や〈気質の性〉を克服し努力してゆくことによって,良心や〈本然の性〉の働きが強くなり,人は君子や聖人と呼ばれるような完全な状態に近づいてゆくと考える。
また仏教では,善悪という道徳的区別は本来相対的なものにすぎないと考える。善行と悪行は,因果(カルマ)の法則によって現世における果報(よい結果とわるい結果)を生み出すけれども,人間の本性はそういう相対的区別を超えている。究極の本性である仏性は,善人にも悪人にもそなわっているが,因果の法則にとらわれた人間はそれを知ることができない。悟りとは,善悪の区別を超えた人間の究極的本性を知り,超越的な世界を体験することであるとされる。
→善
執筆者:湯浅 泰雄
日本の古代・中世における悪
ふつう道に外れ,法に背く行為を悪とするが,歴史的にはそれほど単純ではない。養老律では八虐(はちぎやく)の一つに,祖父母・父母などを殴打・殺害する罪として〈悪逆〉をあげるが,令制では儒教的な徳目に基づき,官人の功過の評価について善悪が問題にされた。10世紀から11世紀にかけて広く見られる〈不善の輩〉は下級官人を含んでおり,この善悪と無関係ではないが,その実態は放火・殺害・強窃(ごうせつ)二盗,博奕などを事とする人々であった。
一方,すでに834年(承和1)の太政官符に主殿寮・主鷹司などの雑色(ぞうしき)・駈使(はせづかい)・犬飼・餌取が市で押買(おしがい)等の不法をするのを〈悪行〉とし,麁悪(そあく)な調物を〈濫悪〉〈濫穢〉といい,無法な罵言や暴力的行為を〈凶悪〉〈濫悪〉とする見方もあったが,12世紀に入るころには〈不善〉という言葉は激減し,さきの殺害などに,鳥獣,魚の殺生や分水の押妨等の行為を含めて,端的に悪行・悪事として糾弾されるようになる。殺生を悪とする仏教思想の浸透をそこにうかがうことができるが,〈党を結び,群れを成す〉といわれた悪徒・悪党は当時台頭しつつあった武士団そのもの,あるいは漁猟民を含む商工業者,金融業者などで,武装した僧兵-悪僧も大寺院が組織したこのような人々であった。これらの人々の世界では,戦場や夜,山野河海,境など,ある条件の下では〈悪〉と非難された行為を当然とし,むしろ積極的に評価する風潮が広く広がっていた。それは〈悪源太〉(源義平),〈悪左府〉(藤原頼長)などの人並みはずれた能力を持つ人を畏敬する空気ともつながり,悪人往生を強調,ついに〈悪人正機〉を説く親鸞に至る浄土思想も,こうした〈悪〉を正面から見すえることによって深化していった。
13世紀から14世紀に広く活動した悪党も,武家・公家の禁圧の対象となったが,依然として根強い〈悪〉を肯定する空気に支えられ,鎌倉末・南北朝期の動乱に大きな役割を果たした。悪僧が裹頭(かとう)したように,このころの悪党も柿帷(かきかたびら)・覆面・蓑笠姿など〈異類異形(いるいいぎよう)〉といわれた服装をすることによって,世俗の規制から自由に行動したので,禁圧する側は〈異形〉自体を悪として罰した。しかもこうした服装は非人の姿でもあり,〈屠者〉を悪人とする仏教思想も加わって,穢れを清める職能を持つ非人を〈悪人〉として差別する空気も社会の一方に広がりはじめる。15~16世紀から江戸時代に現在の用法に近づくが,〈悪〉をいたずら者,生気あふれるものとする見方に,悪を肯定する前代の風潮は生きつづけている。
→悪所 →悪党
執筆者:網野 善彦