哲学用語。認識論上の一つの立場。認識の出発点を感覚にみるのは自然である。人が眠りから覚めふたたび世界をみいだすたびに、それはまずは諸感官を開くこととしてであるから。だが、各感覚作用の対象を各感官に即して色・音などと規定するとき、瞬間ごとに充足している感覚的質の世界から、日常の世界像たる、質を担う安定的諸物の世界までには距離があることがあらわになり、認識上の感覚の身分はあいまいとなる。
安定的世界像のほうを仮象とし、感覚が開く流転する質の世界のみが真に現実的事態であるとするのが現象主義で、これと対照的に、認識目標として可変的諸現象を超えた不動の諸本質を存在せるものとしてたて、これら本質との関係で感覚は誤謬(ごびゅう)の源泉で、理性が認識をなすとするのが合理主義である。
近代、合理主義は知識の確実性の探究の過程で観念論と結び付いた。つまり、認識の直接的対象は意識内容すなわち観念であるとして、まずは主観的確実性を手に入れ、ついで感覚(的観念)からは表象機能を奪うが、思惟(しい)的観念の表象価値は認めて、諸本質の媒介的認識を考えた。精神と物体との二元論はこの認識成果として出てきたもので、そして、物体の精神への作用に精神の変様たる感覚の起源が求められた。他方、思惟的観念は精神に生得であるとされたが、この点に関する合理主義の批判として経験主義が生じた。思惟的観念は、諸感覚を精神の反省機能が結合、抽象などして変形した結果得られるというのである。この反省能力を感覚能力と別物とはみず、その自然的発展と考え、したがって思惟的観念を感覚と同質視するのが感覚論で、18世紀のコンディヤックを典型とするが、19世紀末のマッハの批判的経験主義なども数え入れたりする。
ところで、経験主義でも、この点では合理主義をそのままに踏襲して、感覚は表象機能をもたぬとされるから、感覚を素材とする思惟的観念も意識外の存在を表現する力をもたぬことになり、経験主義は現象主義となる。ただし、思惟による現象の一般化としての学が、日常の安定的世界像ともども、感覚的に生きられる世界に対する仮説的実用的性格のものとして期待される。現象を超える自存的諸本質界は、感覚の起源において精神の触発者として前提されるほかは問題にされない。この前提的存在物との関係では、経験主義は不可知論である。この最後の事情は、学の必然的性格を手放したくなく、かといって感覚の参与なしには学は無内容な形式にとどまると考え、そこで最初に必然的諸形式をもつ理性をたて、次にこれらの形式に適合する仕方でのみ感覚的諸事象は受容されるとし、こうして経験主義と合理主義との総合をねらう先験主義でも同様である。加えて先験主義は、理性が備える諸形式の起源を解明せず放置するという不都合も有している。
ところが、感覚論は、意識内容と外物との対応のうちにでなく、存在概念そのものをも含めた意識内容いっさいの、感覚からの発展的生成の秩序とその転倒のうちに真偽の所在をみる。したがって、その学の理念は不可知論には無縁であるし、学の構造はその成立過程が逐一たどられうる全内容物そのものによって規定されて具体的である。ただ、感覚論がその学の構想を貫くには、とくに感覚器官ないし身体とそれに作用する物体との観念が諸観念発生史に占める地位、これを明瞭(めいりょう)にさせる要がある。実際、コンディヤックとその継承たる観念学派は、この問題を、運動概念を媒介した感覚と知覚との区別において探り、マッハは思惟経済原理で考えようとした。
なお、以上から、感覚論は意識を担う精神の存在を前提するか、精神と物体との実体的区別をなくすかであり、したがって感覚論を唯物論に数えるのは不当なことがわかる。感官の欲望を弁護する立場のことば上の連想がこれの誤解の因であろう。
[松永澄夫]
18世紀フランスの哲学者コンディヤックの主著。1754年刊。ロック以来の感覚と反省という知識の起源の二元性を克服して、コンディヤックは感覚一元論の立場にたつ。すなわち彼は、「内部をわれわれと同じように組織づけられ、精神によって生気づけられているが、しかしいかなる観念ももたない彫像」に、順次臭覚、味覚、聴覚などの五官の使用を許すことによって、いかにして諸感覚の結合からわれわれの認識が生ずるかを示そうとするのである。ただし、諸感覚の結合もしくは変形といっても、それは単なる意識事実の進展や変形ではなく、記憶を媒介とした感覚あるいは感情の記号化であり、この記号つまりことばの使用によってわれわれの精神は自由な判断や推理を行うことができる。「知識とはよくできたことばなのである」。
[坂井昭宏]
『加藤周一他訳『感覚論 上』(1948・創元社)』
いっさいの認識は感覚のみに由来すると主張するか,それとも感覚がいっさいの認識の必要,かつ十分な条件であると主張する哲学的立場。sensualisme(感覚論)という用語は19世紀初頭以来,フランスで使われており,フランスの《アカデミー辞典》には,1878年版から採録されている。イギリスでは,sensualistという語は,すでに18世紀以来使用されていたが,この語は語源どおり〈快楽主義的〉〈肉欲主義的〉という軽蔑的意味しかもっていなかった(バークリー《アルシフロン》第2巻,16章)。したがってとくにフランスでは感覚論をあらわすには,sensualismeではなく,正しい語源に由来するsensationnismeという語を使うべきである,とする意見も少なくない。
感覚論には,その前段階として,ロックの経験論がある。ロックにおいては,生具観念が否定され,人間の精神は本来,白紙(タブラ・ラサ)であるとされる。したがって人間の観念は,すべて経験から生じる。この経験の起源は内外の知覚経験,すなわち外的な〈感覚〉と内的な〈反省〉である。この二つの起源から生じた精神内容である〈観念〉には,感覚や反省に直接与えられる〈単純観念〉と,それに精神の機能が加わって成立した〈複合観念〉(空間,時間,数,無限,実体,因果など)とがある。このようにロックの経験論は,一方で,人間の知識は,知覚経験から出発してしだいに形成されていくとする感覚論と,他方で,この知識の形成原理の側にも力点を置く合理論との妥協であった。
本来的な感覚論は,ロックの経験論から出発したコンディヤックに始まる。彼は,〈立像のたとえ〉によって人間の認識の成立を一元的に説明する。すなわち,感覚を賦与されてはいないが,〈わたくしたちと同じように内部が組織され,精神を与えられ〉ている大理石の立像を,思考実験的に想定する。そしてそれに嗅覚,味覚,聴覚,視覚を順次与えていくと,悟性機能(想起,記憶,想像,判断など)と意志作用が生じる。さらに触覚が与えられ,かつ立像が運動を起こして外的対象に接触すると,ここで初めて外的世界の存在が認識される(この外界の認識によって,コンディヤックの感覚論は,〈存在するとは知覚されることである〉というバークリーの独我論を抜け出し,観念論から実在論に移行することに成功した)。他方でまた反省は,記憶において一定の観念系列に注意を固定し,それらを順次考察していくことによって成立する。この注意と反省に〈記号〉を用いると,判断と推理が可能になり,このようにして精神的命題が形成されていくのである。このコンディヤックの理論は,肉体的感性に発する幸福追求の欲望を人間の行為の動機とするエルベシウスの感覚論的道徳論や,カバニス,デステュット・ド・トラシーらの感覚論的観念学によって継承されている。
→感覚 →認識論
執筆者:中川 久定
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…晩年はボジャンシーの近くの田園に隠棲した。哲学的主著には,《人間認識の起源に関する試論》(1746)と《感覚論》(1754)がある。前者ではロックの学説を継承し,人間の認識の起源として感覚と反省の二つを認める立場をとった。…
…啓蒙の認識論のスタンダードを定めたといってもよいロックの経験論から,さらには自然科学的説明方式の力により全面的に依拠したドルバックらの唯物論,人間機械論の哲学にいたるまで,この動向をぬきにしては考えられない。ロックの経験論は,イギリスでは,ヒュームの懐疑論にまで徹底され,またフランスに移植されてコンディヤックの感覚論を生む。ロックやコンディヤックにおいて,エピクロス,ストアの哲学から中世の唯名論を通じて受け伝えられた記号学ないし記号論の発想には,その後今日に通じる新たな展開をみせていることをはじめ,多くの注目すべき点がある。…
※「感覚論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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