江戸後期の画家で思想家の渡辺崋山(かざん)が1838年(天保9)10月15日に高野長英(ちょうえい)らと参加した蘭学(らんがく)グループ尚歯会(しょうしかい)の席上で、近く漂流民を護送して再来日する「イギリス船モリソン号」(イギリス船というのは、オランダ商館が幕府に提出した風説書に基づく誤報で、事実としてはアメリカ商社の社船であった)に幕府はふたたび撃攘(げきじょう)策で対応するという噂(うわさ)を知り、これに反対して執筆した一文である。長英の『戊戌(ぼじゅつ)夢物語』(『夢物語』)と類同するが、打払令そのものに反対した長英とは異なり、頑迷な鎖国封建体制に対して、遠州大洋中に突き出した海浜小藩たる田原藩の藩政改革に関与する、現実的政治家崋山の批判を中心にしている。モリソン号に象徴される(『夢物語』と同様に、ここでも船名を人名と誤っている)イギリスの国情を詳述し、「今国家の拠(よ)る所海にあり」と「海船火技」の科学技術に注目した。ここから鎖国日本の現実を批判し、封建的太平の体制下にはびこる賄賂(わいろ)政治などを慨嘆した。「慎機」とは、かかる世界史の時勢にきざしたモリソン号来航に、為政者の慎重な対応を期すことであった。崋山は執筆を中断し秘して余人に見せなかったが、尚歯会への弾圧事件とされる蛮社の獄で、幕吏によって崋山宅から発見された。
[藤原 暹]
『佐藤昌介校注「慎機論」(『日本思想大系55 渡辺崋山他』所収・1971・岩波書店)』
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渡辺崋山(かざん)著。1838年(天保9)未定稿。同年10月,近く再来航するとの風聞のあった「英船」モリソン号への打払令適用という幕府の方針に対し,蓄積した西洋事情研究をもとに,その迎撃の不可を論じた。崋山自身,内容の過激さから途中で反故(ほご)にしたが,39年蛮社の獄勃発の際,幕吏に押収され,崋山はこれを証拠として蟄居に処せられた。「崋山全集」「日本思想大系」所収。
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…鳥居を崋山らの弾圧に踏みきらせたのは,モリソン号事件とこれにつづく江戸湾防備の問題である。1838年10月〈英船〉モリソン号渡来の風説を知った崋山は《慎機論》を書き,また長英は《夢物語》を書いて,予想される幕府の撃攘策に反対した。他方,幕府もこの風説に刺激されて,江戸湾防備体制の強化をはかり,目付鳥居と代官江川に命じて,江戸沿海を調査させた。…
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