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蛮社の獄 ばんしゃのごく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蛮社の獄
ばんしゃのごく

江戸幕府が洋学者の渡辺崋山高野長英尚歯会 (しょうしかい) グループに加えた弾圧事件。アメリカ,イギリスなど列強の日本進出の動きに幕府は文政8 (1825) 年2月異国船打払令を出したが,広く内外の情勢を研究していた尚歯会はこのような保守的な幕政を批判し,崋山は『慎機論』を,長英は『夢物語 (戊戌夢物語) 』を書いて知識層をはじめ,幕臣にまで影響を与えた。これを機に幕府は目付鳥居耀蔵らに命じて洋学者を弾圧し,天保 10 (39) 年5月に崋山ら 26人を逮捕した。幕政批判の罪で崋山は国許蟄居 (のち自殺) ,長英は永牢 (のち脱牢,自殺) ,小関三英は逮捕の際に自殺したが,この事件は,以後洋学のあり方に大きな影響を与えた。

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百科事典マイペディアの解説

蛮社の獄【ばんしゃのごく】

江戸幕府が,渡辺崋山高野長英尚歯会洋学者グループに加えた弾圧事件。1837年米船モリソン号が日本漂流民返還のため浦賀に来航した際,幕府が異国船打払令によって撃退した事件を,崋山は《慎機論》,長英は《夢物語》に書いて批判した。
→関連項目大蔵永常

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世界大百科事典 第2版の解説

ばんしゃのごく【蛮社の獄】

1839年(天保10)に起こった蘭学者弾圧事件。弾圧の対象とされたのは,渡辺崋山とその同志である。渡辺崋山は田原藩士で,1832年に年寄役末席に挙げられ,海岸掛の兼務を命ぜられた。崋山はこれが直接の動機で,高野長英・小関三英らの蘭学者を招いて蘭学の研究をはじめた。主たる目的は海防であり,その蘭学は従来の科学技術の枠を超えた経世的性格を帯びたものであった。崋山の蘭学研究が進むにつれて,彼は〈蘭学にて大施主〉という世評を得,彼の下に集まる同憂の士が少なくなかった。

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大辞林 第三版の解説

ばんしゃのごく【蛮社の獄】

〔「蛮社」は「蛮学社中」の略〕
1839年、江戸幕府が渡辺崋山・高野長英らの蘭学者に加えた言論弾圧事件。モリソン号事件を契機とし、崋山は「慎機論」、長英は「夢物語」を書いて幕府の外国船撃攘策を批判。幕府は幕政批判のかどで、崋山を国元蟄居、長英を永牢とした。 → 尚歯会

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蛮社の獄
ばんしゃのごく

江戸後期、蘭学(らんがく)者に対する弾圧事件。蛮社とは蛮学社中の略。三河(愛知県)田原(たはら)藩の家老渡辺崋山(かざん)は、藩政改革の推進を図って、高野長英(ちょうえい)、小関三英(こせきさんえい)ら蘭学者と尚歯(しょうし)会の集まりを通じて西洋知識の吸収に努めていた。また、幕臣・諸藩士などの識者のなかには、崋山の識見を慕って集まる者も少なくなかった。大学頭(かみ)林述斎(じゅっさい)の子で目付の鳥居耀蔵(とりいようぞう)は、儒教思想による守旧的立場から、崋山ら蘭学者を憎悪していた。1837年(天保8)6月、対日通商の望みをもって、日本人漂流民の送還のため江戸湾に入ったアメリカ船モリソン号が、浦賀で異国船打払令によって撃退されるという事件が起きた。すると、崋山は『慎機論(しんきろん)』を、長英は『戊戌(ぼじゅつ)夢物語』(『夢物語』)を著して、世界情勢に目を覆い人道に反する幕府の処置を批判した。39年、老中水野忠邦(ただくに)は守旧派の鳥居と開明派の伊豆韮山(にらやま)の代官江川英龍(ひでたつ)に江戸湾の備場(そなえば)巡見を命じた。江戸に帰った江川から意見を求められた崋山は、江戸湾防備の意見書や『西洋事情書』などを江川に送った。鳥居は、江川が崋山と親しいことを知り、崋山が無人島(小笠原(おがさわら)島)渡航計画に関係し、長英らと蘭学を講じ、幕政批判を行ったなどと、罪状を捏造(ねつぞう)して、同年5月崋山、長英ら一味を逮捕した。取調べの結果、無人島渡航計画などの容疑は晴れたが、幕政批判の罪は重く、同年12月、崋山には国元田原における蟄居(ちっきょ)、長英には永牢(えいろう)の判決が下された。これより先、小関三英は自分も罪の逃れがたきを思い自刃し、崋山、長英の両名もやがて自殺に追い込まれた。蛮学社中の観を呈した尚歯会そのものは、主宰者の紀州藩士遠藤勝助(しょうすけ)が逮捕されておらず、弾圧の直接対象にはなっていなかった。しかし、この事件は、蘭学・蘭学者が弾圧を受け、そこに幕府内における守旧派と開明派との対立が顕著にみられた事件であったといえよう。[片桐一男]
『佐藤昌介著『洋学史研究序説』(1964・岩波書店)』

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世界大百科事典内の蛮社の獄の言及

【モリソン号事件】より

…広東のアメリカ貿易商社オリファント社所属のモリソンMorrison号が1837年(天保8)日本人漂流民7人の送還を兼ねて対日貿易の開始を求めて浦賀へ来航し,異国船打払令に従った浦賀奉行の砲撃をうけ,さらに鹿児島湾に入港しようとして砲撃された事件。翌年,事件の真相をオランダ商館長の情報から知った幕府は,打払政策に関する評議を行ったが,幕府評定所一座が打払令順守を主張したことを知った渡辺崋山らは,幕府の危険な政策を批判し,蛮社の獄の原因の一つとなるとともに,対外的危機を認識させる事件となった。【藤田 覚】。…

【渡辺崋山】より

…そのころようやく海防が問題化した時期であったため,彼の学識を慕って集まる知識人が少なくなかった。このことが幕府の文教をつかさどる林家の忌諱(きい)に触れ,林家出身の目付鳥居耀蔵が崋山と同志を陥れるために39年に蛮社の獄を起こした。そのため崋山は在所蟄居(ちつきよ)を命ぜられ,2年後に在所田原で自殺した。…

※「蛮社の獄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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