成就寺(読み)じようじゆじ

日本歴史地名大系 「成就寺」の解説

成就寺
じようじゆじ

[現在地名]建部町富沢

藤田ふじたのうちにあり、鳥越とりごえ峠に向かう道に面する。藤田山と号し、日蓮宗本尊は十界大曼荼羅。報恩大師建立備前四八ヵ寺の一つに数えられ、もと天台宗であったが、正平年中(一三四六―七〇)に大覚によって日蓮宗となったと伝える。以後金川かながわ(現御津町)の松田氏の保護の下に栄え、盛時には一二坊・末寺三をかかえる中本寺であった。


成就寺
じようじゆじ

[現在地名]津市垂水

伊勢参宮街道沿いにある。真言宗醍醐派、垂水山と号し、本尊は鎌倉末期製作と考えられる胎蔵界大日如来坐像。文禄二年(一五九三)縁起によれば、開基は行基。本尊が出現した跡より湧出していた香水を白河法皇に献上したところ、病気が平癒したため七堂伽藍を建立、寺領二〇〇貫を寄付されたという。将軍足利尊氏の命で正平元年(一三四六)伊勢参宮をした京都醍醐だいご寺座主賢俊が「宿下品之間、不夜宿之儀即夜中立之」としたのは当寺か(賢俊僧正日記)


成就寺
じようじゆじ

[現在地名]小諸市小諸 乙 六供

真言宗智山派。天国山吉祥院成就寺。本尊は阿弥陀如来

永正元年(一五〇四)創建と伝え、小諸城の鬼門にあたるゆえ、鬼門除けとして小諸城主の祈願所とされた(小諸砂石鈔)六供ろつくの名は、成就寺の六房より出るという。

寛保二年(一七四二)七月の中沢なかざわ川の大氾濫では、本寺も大被害を受け、小諸領内水害書留(与良清氏蔵)によれば「本堂・眠蔵・庫裏・聖天堂・鐘楼釣鐘共、右不残押流。


成就寺
じようじゆうじ

[現在地名]三原市本町

妙正寺みようしようじ坂の東にあり、神応山と号し臨済宗妙心寺派。本尊千手観音。「三原志稿」によると、もと豊田郡高山たかやま城下(現豊田郡本郷町)にあった小早川貞平の菩提所で、開山は琴江令薫(春平次男)。その後兵火に罹り、小早川正平により再建、正平の菩提所ともなり、小早川隆景により三原城府に移されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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