払田柵跡(読み)ほつたのさくあと

日本歴史地名大系 「払田柵跡」の解説

払田柵跡
ほつたのさくあと

[現在地名]仙北町払田、千畑村本堂城回

仙北平野のほぼ中央、しん山・長森ながもりの二つの小丘陵を中心とし、北を川口かわぐち川、南を丸子まるこ川が流れる。

古代の城柵跡で周囲に柵列をもち、中部に古代の様式に基づく建造物の遺構を残す。天平五年(七三三)の秋田城建設、天平宝字三年(七五九)雄勝おがち城建設とともに律令国家の北進と深いかかわりをもつと考えられるが、古代から明治に至るまでの歴史資料にない無名・不文の遺跡である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「払田柵跡」の解説

ほったのさくあと【払田柵跡】


秋田県大仙市払田、仙北郡美郷(みさと)町本堂城回にある古代城柵跡。横手盆地北部、硬質泥岩を基盤とする標高65mの真山(しんざん)と54mの長森と呼ばれる低い丘陵を囲むように外柵が築かれ、その内側に長森を囲むように外郭が築かれている。外柵と外郭の東西南北には掘立柱による門があり、長森の中央には板塀で囲われた平安時代の政庁と考えられる建物跡が残る。その配置形式と造営技術は律令制下の官衙様式に則っており、1931年(昭和6)に秋田県としては初めての国指定史跡になった。柵跡の名が冠されたのは、外柵が柵木塀(材木塀)であることに由来する。柵木は約30cm角に加工した秋田杉で、1989年(平成1)に年輪年代法によって、801年(延暦20)ごろに伐採されたものであることが確認された。「嘉祥二年」(849年)と記された木簡も発見されており、年代法の結果とも符合する。外柵は東西約1370m、南北約780mの長楕円形に立ち並び、多賀城跡秋田城跡と並ぶ東北地方最大級の城柵遺跡といえる。柵木の長さは、倒壊した柵木が良好な状態で発見されたため、地上高は3.6mと判明。軍事施設と行政施設とを兼ね備えた、9世紀初頭から10世紀後半ごろの国の役所であるとともに、柵内では鉄の生産鍛冶、さらには祭祀もとり行われていたと考えられる。現在は、外郭南門や政庁などが復元されている。JR秋田新幹線ほか大曲駅から車で約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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