デジタル大辞泉
「投扇興」の意味・読み・例文・類語
とうせん‐きょう【投扇興】
江戸時代に始まった室内遊戯の一。方形の台の上にイチョウ形の的を置き、離れた所から開いた扇を投げて打ち落とす。その落ち方や扇の開き具合により技の優劣を競った。扇落とし。投げ扇。《季 新年》
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とうせん‐きょう【投扇興】
投扇興〈投扇式〉
- 〘 名詞 〙 江戸後期に流行した室内遊戯の一種。木枕形の台の上に文銭一二個を包んで蝶形の的を立て、一メートルほど離れた所にすわって、開いた扇を投げてこれを落とし、その落とし方や扇の開き方などによって点を決め、優劣を競うもの。扇落(おうぎおとし)。投扇。《 季語・新年 》
- [初出の実例]「投壺は投扇興(トウセンキャウ)と変じ」(出典:洒落本・当世爰かしこ(1776))
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投扇興 (とうせんきょう)
日本の遊戯の一つ。〈投扇〉〈おうぎなげ〉〈かなめがえし〉などともいう。中国渡来の投壺(とうこ)を模して,江戸時代中期に創案されたもの。1773年(安永2)の投扇庵好之撰,泉花堂三蝶述《投扇式》には同年6月,投楽散人が昼寝のとき木枕の上にとまった蝶を目がけて扇を投げたことに始まるとある。木製の台の上に,穴あき銭12個を金紙,銀紙に包んで水引で結び蝶の形に仕上げた的を置き,台から1~2m離れたところに座り,開いた扇の要(かなめ)を親指を上にしてつまみ,ねらいを定めて投げ,台から的を落とす。落ちた的と扇がどんな位置にあるかによって,百人一首にちなんだ〈筑羽根〉〈雲がくれ〉など18の名称と点数が決まっている。12投して合計点を競う。のちに《源氏物語》五十四帖にちなんだ54の名称と点数に改められ,たとえば,的と扇が離れて落ちると〈花ちる里〉で無点,的が落ちて立ち,扇が台上にのると〈桐壺〉で75点というようになった。宴席の興として盛んになり,文化・文政期(1804-30)には一般家庭でも行われるようになった。賭事にも利用され,《武江年表》には,〈文政5年(1822)投扇の戯世に行われしが,辻々に見世をかまへ賭をなして,甲乙を争ひしかば八月にいりて停らる〉とある。明治中期まで人気のあった遊びで,その後も一部で正月などにおこなわれてきたが,第2次大戦後はほとんど見られなくなった。
執筆者:半澤 敏郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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投扇興
とうせんきょう
江戸時代の室内遊戯。寛永通宝 12個を蝶 (ちょう) 形に包んで金紙や銀紙で裏打ちし,金銀の水引きを掛けたもの (的玉) を,蒔絵 (まきえ) の枕台 (的台) の上に載せる。それに 12本骨の扇を投げて的の落ち具合や扇の開き具合によって勝敗を競う。投扇者は扇の4倍の長さの距離 (約 1m) にある投席に正坐して,右手で扇のかなめを先にして投げる。扇の落ちた形には『源氏物語』 54帖の題にちなむ呼称と点数が決められ,各人 12回ずつ投げてその合計点で順位を決める。安永2 (1773) 年,投楽散人其扇が中国から伝えられた投壺 (とうこ) にヒントを得て案出したといわれる。明治中期頃までは広く行われていたが,その後すたれ,現在では京都,祇園 (ぎおん) などの花街でわずかに行われているにすぎない。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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投扇興
とうせんきょう
江戸時代後半、京坂より流行した酒席の遊戯。緋毛氈(ひもうせん)を敷き、小銭を錦(にしき)で包み、水引で結んだ蝶(ちょう)形の的を枕(まくら)形の台上にのせ、1メートルほど離れた位置から、開いた扇子を投げる。的の落ちぐあいによって酒杯を重ねた。初めは百人一首の歌に寄せて点数を数えたが、のちに『源氏物語』53帖(じょう)の巻名に変えた。街頭でも賭(か)け事として流行したため、禁止令が出たこともある。江戸末期には、縦長の桐管(とうかん)を的台とし、的も縮緬張(ちりめんば)りの小形扇子の両端に鈴をつけた。遊具、点付け法などに作法がある。
[猪熊兼勝]
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投扇興【とうせんきょう】
日本の遊びの一つ。〈投扇〉〈おうぎなげ〉〈かなめがえし〉とも。木枕(まくら)にかたどった的台の上に胡蝶(こちょう)形の的を置き,これに扇を投げる遊び。距離は1〜2m。開いた扇の要(かなめ)を親指を上にして持ち,ねらいを定めて投げる。扇は半回転して,要が前になって飛んでいく。的の落ち具合や扇の開き具合などにより得点を競う。1773年投楽山人其扇が投壺(とうこ)を模して創案したと伝えられる。明治の半ばころまで広く行われ,現在も祇園(ぎおん)花街等に伝承される。
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