記述内容への関心や理解を深めるため、新聞、雑誌、書物などの文中に挿入される絵。イラスト(illustrationの略)とほぼ同義だが、一般には、文章と直接つながりがあり、しかも絵画的性格の強いものをさす。写真図版、カットや口絵とは区別される。
挿絵の歴史は、書物の歴史とともに始まる。古代エジプトのパピルスの巻物、とくに『死者の書』には、冥界(めいかい)の情景が記され、その内容が詳細に描かれている。ギリシア・ローマ時代には冊子本の形式が生まれ、挿絵も現在の形に近づくが、例は少ない。中世以降、キリスト教の発展とともに、聖書、福音書(ふくいんしょ)などに挿絵をつけることが一般化し、専門の挿絵画家も生まれた。金、銀、岩絵の具を用い、細い筆で入念に描かれたこれらの挿絵(ミニアチュール)は、芸術的にも高く評価される。ジャン・フーケ、ランブール兄弟などは、挿絵画家としてとくに名高い。
またイスラム世界では、歴史や文学に加えて、医学、数学、天文学など科学書に優れた挿絵が描かれた。バグダードのアッ・ジャザリーの『機械装置の知識』(1206ころ)の多くの挿絵は、この種の代表的な例である。
印刷術の発明によって、挿絵は木版、石版、銅版などによって印刷されるようになり、その形式も大きく変わった。初期の印刷は単色であったので、印刷後に手で彩色することも広く行われた。また、経典や祈祷(きとう)書のみでなく、歴史書や文学書に挿絵を加えることも一般化し、単なる情景説明にとどまらず、登場人物の心理描写にも関心が払われるようになった。この種の先駆的な作例として、未完ではあるが、ルネサンスの大画家ボッティチェッリの描いたダンテの『神曲』がある。この傾向は近世に至ってますます強まり、たとえばギュスターブ・ドレやウィリアム・ブレークの『失楽園』『神曲』、ビアズリーの『サロメ』『アーサー王の死』などの名作が生まれた。
日本における挿絵の歴史は、奈良時代にまでさかのぼりうる。その多くは中国からの伝来あるいは模本と考えられるが、いずれも仏教の教典に施されたものである。現存する最古の例と考えられる『絵因果経』の場合では、経文の字句と絵とが巻物の上下に並行している。平安時代から鎌倉時代にかけてつくられた絵巻の絵も、一種の挿絵と考えることができるが、今日ではむしろ独立した絵画として鑑賞されている。室町時代以後、たとえば御伽草子(おとぎぞうし)などのようなより庶民的な読み物が生まれ、挿絵もそれに即した性格を強めていった。江戸時代に活版技術が導入されると、挿絵はさらに発達し、いわゆる赤本、黄表紙などの大衆本が生まれ、物語作者と挿絵画家の合作も広く行われるようになった。挿絵が、文字の読めない人々にも、書物に対する親近感をおこさせた事実は重要である。
明治になって新聞、雑誌が大量に刊行されるようになると、小説や読み物には多くの場合挿絵が要求されたために、その需要が急激に増大した。すでに美術界で名をなした画家たちがこれらの挿絵を担当することも多かったが、別に、挿絵によって名声を得た画家も生まれた。大正・昭和にかけて活躍した竹久夢二、岩田専太郎、小村雪岱(せったい)らはその好例で、いずれも個性的な、しかも大衆の情感に直接訴える、わかりやすい表現形式を特色としている。
[友部 直]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…浮世絵版画の彫師・初世大倉半兵衛の弟子。近代の機械印刷術が未熟な明治時代は,新聞,雑誌の挿絵は原画の複製木版画で,木版工あるいは彫師が彫版した。凡骨はとくに腕のたつ彫師で,洋画家の水彩,素描のペンや色鉛筆,クレヨンなどの筆触,質感を彫刀で巧妙に表現し,名摺師の西村熊吉の協力を得て,原画に近いみごとな複製版画を作った。…
…したがって,どの作品にもパトロンの趣味が強く反映し,ここから,イスラム美術を宮廷美術とする考え方が生まれている。 イスラム美術において,彫刻,特に人体彫刻はほとんど発達せず,絵画も,壁画を除いて,写本挿絵(ミニアチュール)という特殊な形でしか発達しなかったため,書道や工芸が,東アジアや西欧のそれに比べると,著しく高い位置を占めている。
【建築】
イスラム世界の自然環境,イスラムの宗教的概念とこれに基づく慣習,あるいは社会的慣行などにより,絵画や工芸と同様に,統一性・画一性の著しく強い建築が生まれた。…
…テキスト(本文)につけて,明るく照らし出すものという意味で,図示し,彩飾する役割を持っている。イルミネーションは中世の写本の頭文字の飾りなどを指し,古代から現代にいたる挿絵を全体として示すにはイラストレーションの語を使う。写本画 イラストレーションの歴史は,15世紀半ばのグーテンベルクによる印刷術の発明以前(写本の時代)とそれ以後(活版本の時代)に分けられる。…
… こうした逍遥の主張は,木版から活版へという書物生産のテクノロジーと見合っていた。活字テクノロジーの画一的なシステムは,挿絵と本文を分離し,可読性が増強されるかわりに音声イメージが希薄になる。活字で印刷された小説の言葉は,言葉の物質性を切りおとしていくことで,逆に意味されるものとしての観念や表象の純度を高めていく。…
…スペインでは黄金時代の画家たちも余技程度にしか制作しないが,18世紀末にゴヤがアクアティントを併用しながら4種の大連作をつくり,19,20世紀に強い影響を与えた。各種の本の挿絵としても銅版画が用いられ,それらがエングレービングの体裁をとる場合にもしばしばエッチングによって版のおおよそをつくることが多かった。 19世紀の中期から再び画家の創作エッチングが復活する。…
…通称吉兵衛,晩年薙髪して友竹と号した。狩野派,土佐派など本格的な流派の画法を学び,寛文年間(1661‐73)興隆期の江戸の大衆出版界に身を投じて挿絵画家となった。多くの無名の絵師と異なり,彼は1672年(寛文12)刊の絵入り本《武家百人一首》に江戸の挿絵画家としてはじめて署名を入れ,またしばしば大和絵師と自称して伝統的な大和絵の継承者を自認した。…
…さらに著名人の肖像石版画では,ドゥベリアAchille Devéria(1805‐59)の甘美な作風が人気を博した。1820年代から興隆した新聞や雑誌の挿絵も安価で速い転写法による石版で刷られ,風俗画,戯画,時事風刺画にラミEugène Lami(1800‐90)やモニエHenri Monnier(1805‐77),A.ドカンらが腕を競った。なかでも30年代に《カリカチュール》,《シャリバリ》誌に拠ったドーミエの激越な時事・政治風刺画,ガバルニの優美な風俗画は優れた芸術性をもつ。…
※「挿絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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