捷号作戦(読み)しょうごうさくせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「捷号作戦」の意味・わかりやすい解説

捷号作戦
しょうごうさくせん

太平洋戦争末期に日本軍が立案した作戦計画。 1944年6月マリアナ沖海戦に敗れ,サイパングアムなどを失った結果,日本はその後方の地域において,最終的決戦を求めざるをえなくなった。この作戦が「捷号作戦」で,敵がフィリピンに来攻する場合が「捷1号」,台湾,南西諸島の場合が「捷2号」,九州,四国,本州が「捷3号」,北海道が「捷4号」として計画された。当時マリアナ海域の防備に全力を傾注した結果,捷号作戦に対する防備は,ほとんど未定の状態であり,連合艦隊主力空母艦 (空母) は壊滅的打撃を受け,早期再建は不可能な状態であった。この結果海上兵力の主力は,陸上基地航空兵力に依存せざるをえなくなった。そして空母隊を欠いた戦艦部隊は,基地航空兵力の支援のもとに,敵の上陸地域に突入するという作戦がとられた。またアメリカ空母部隊に対する航空部隊の昼間強襲は,損害のみ多く成果を期待しえないということから,夜間ないし悪天候狭視界を利用する電探 (レーダ) 利用のT部隊による雷撃も計画され,訓練された。 44年 10月アメリカ軍のフィリピン来攻に伴って「捷1号」作戦が発動されたが,圧倒的なアメリカ空母兵力のため,計画されていたすべての作戦は不成功に終り,ついに第1航空艦隊,次いで第2航空艦隊は,特攻攻撃 (→神風特別攻撃隊 ) を実施したが,商船改造の護衛空母を撃沈したにとどまり,大勢を挽回することはできなかった。 44年 10月下旬から 45年初頭にかけて,フィリピン諸島要地は,アメリカ軍に攻略され,ここに南方の資源地帯と日本本土とは完全に遮断された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「捷号作戦」の意味・わかりやすい解説

捷号作戦
しょうごうさくせん

太平洋戦争の末期、アメリカ軍の反攻の本格化に対処するため大本営が策定した日本軍の作戦計画。1944年(昭和19)7月、マリアナ諸島喪失によって「絶対国防圏」の一角が崩れ、日本周辺地域へのアメリカ軍の進攻作戦が切迫化するに及んで、大本営は、アメリカ軍の進攻予想方面を対象とした捷号作戦計画を策定した。これは、フィリピン、台湾、南西諸島、本土、千島の防衛を強化し、そのいずれかの地域にアメリカ軍が来攻した場合、陸海空の戦力を随時結集して決戦を行おうとするものであり、捷一号作戦(フィリピン方面決戦)、捷二号作戦(台湾、南西諸島方面決戦)、捷三号作戦(北海道を除く本土決戦)、捷四号作戦(千島、樺太(からふと)、北海道方面決戦)が計画された。このうち、実際に実施されたのは、同年10月のアメリカ軍のフィリピン進攻作戦に際して発動された捷一号作戦であったが、同作戦は日本軍の完敗に終わった。

[吉田 裕]

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