日本大百科全書(ニッポニカ) 「教育の中立性」の意味・わかりやすい解説
教育の中立性
きょういくのちゅうりつせい
政治と宗教の支配から教育を守り、その自律性の確保を目ざすことをいう。思想・信条の自由、公共性の観点から、特定政党・特定宗派に基づく政治教育・宗教教育は法律によって制約を受ける。教育基本法第8条(政治教育)においては、条文前段で「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」としながらも、後段で「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と定めている。また第9条(宗教教育)においては、条文前段で「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」としながらも、国公立学校では「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」(後段)としている。
[岩下新太郎]
公教育における意義
教育の中立性の問題は、歴史的にはアメリカ合衆国の公教育制度成立に典型的にみられるように、近代社会における世界観、信仰、政治的イデオロギーの多様性・相対性の承認と、教育の公共性の確認とに端を発している。教育の中立性が、まず「教育の宗教的中立性」「教育の政治的中立性」として問題になるのは、近代公教育制度の公共性のゆえに、特定信仰・信条、特定政党のイデオロギーは公教育の内容からは排除されるべきであるとする、公教育形成の観点からである。しかしながら、教育の中立性は、上述の観点を超えて、きわめて積極的な教育的意味をもっている。
本来の教育は、価値が多元・相対的である社会にありながら価値を離れえない教育的現実のなかにあって、子供の自主性と発達可能性を信頼して、可能な限り将来の道をあけておくところに成り立つものである。したがって、ある一定の価値に方向づけないという消極面に積極的な教育上の意味がある。
さらに、近代国家において、公教育制度を構想・制定し、それを運営する現実の国家権力は、公権力をうたいながらもけっして完全な意味で「公権力」ではない。それを批判し、それに対立する少数ないしは多数がかならず存在する。この意味で公権力といわれる国家権力も「政治的」であり、不偏不党を標榜(ひょうぼう)する行政作用も究極的にはその影響を免れない。このような国家権力の絶えざる検証とそれに基づく修正は、公教育制度において「教育の自由」がどれほど生かされ機能しているかにかかわっている。教育の中立性はその自由を保障するものである。
[岩下新太郎]
課題
第二次世界大戦後、教育基本法第8条(政治教育)と第9条(宗教教育)は、ともに条文後段の「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」という禁止規定は厳守されたが、なにゆえ禁止されたのか、されるべきなのかという点は明示されず、そのための具体的施策等も講じられなかった。また、それぞれの条文の前段を含めての徹底した吟味検討もなされないままであった。
1991年ソ連が崩壊し、冷戦が終結した後、あらゆる分野において地球的規模での地殻変動的再編成が予想される今日、教育についても、検証されずに残った課題を究明・検討する作業が必要であり、改めて教育の中立性を考えねばなるまい。
[木村力雄]