政治に関する基本的知識を与え,現実の政治に対する科学的判断力や批判力を培い,主権者としての自覚を養うことを目的とする教育。一般に,政治についての知識を与える教育は,近代市民社会の成立以前においても存在した。しかしそれは,一部の特権階層を対象とする,民衆支配のための知識・技術を授ける教育であった。こうした,いわば支配階級の自己教育としての政治教育は,近代市民革命の時代に入り,国民主権と万人平等の理念を前提とした政治参加の思想にとって代わられる。そこでは,国民の生命・自由・幸福を実現するために,権力のあり方を統御しうる政治的力量が,国民個々人に求められる。しかし,近代市民社会の現実態としての資本主義的階級社会では,国民のすべてにこうした政治主体としての力量を形成しようとする政治教育の理念は,理想にとどまるものとなる。現実の政治教育は,統治階級の持続的な支配の継続を目的とし,現実の政治に対する国民の自発的・積極的な同意を調達するための手段となる。そこでは,国民を,政治の主体ではなく政治の客体として体制内に順化させることがめざされる。政治教育は,既存の政治体制に従属し,その合理化に奉仕するための教化(インドクトリネーション)のシステムとなるのである。日本の第2次大戦前の政治教育は,その一つの典型であった。教育勅語の趣旨に基づく忠君愛国の倫理を説いた修身教育は,国体への無条件の服従を強いるものであったが,さらに〈立憲自治〉のもとでの〈政治的智徳ノ涵養〉を重視した公民教育も,その目的は国憲に対する絶対の順守と国民の義務を強調することにあり,現実政治に対する国民の批判を拒絶し,政治主体としての国民の成長をおしとどめる役割をはたした。
しかし以上のような,いわば閉ざされた教化としての政治教育は,教育そのもののもつべき固有の価値の観点から吟味されねばならない。すなわち教育とは,個々人の内面にはたらきかけ,学習者の自発性に依拠し,その納得を通して,認識を深め,行動を自分で統御できるようにするためのいとなみである。さらに,教育は学習者の発達の程度を考慮すると同時に,人間の可能性への信頼に基づき,理想とされる社会と国家の実現を,次代を担う若い世代に託そうとする試みである。したがって,政治教育が真に政治教育たりうるためには,学習者の発達段階にふさわしい学習=教育と自主的・自治的な活動の機会が用意されていなければならない。彼らは,さまざまな政治的理念や見解のなかから,自己の政治的理念を選択し,それをさらに発展させうる力量の形成がめざされなければならない。既存の特定の政治的価値を注入しようとする政治教育は,それがいかなる政治的立場に立つものであれ,教育そのものの本質を侵すものとして退けられなければならない。この点で,日本における日本国憲法と教育基本法の提示する,〈教育の自由〉と中立性の理念は重要である。国民主権と人権尊重を基本とする憲法のもとでは,国民の思想・信条の自由,幸福追求の権利が保障され,教育は,国民の権利であり,国家が国民にその意思をおしつけることは厳しく退けられなければならない。教育基本法は,この憲法的理念を前提とし,第8条で〈政治教育〉の規定をおき,〈良識ある公民たるに必要な政治的教養は,教育上これを尊重しなければならない〉とのべ,政治的教養の必要性をうたうとともに,第2項で〈法律に定める学校は,特定の政党を支持し,又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない〉とのべ,教育の政治的中立の原則を確認している。この点は発達途上にある児童・生徒への教育的配慮の必要性からも重要である。同時に,支配者の側からは,教育の政治的中立の名のもとに,政治教育そのものを偏向教育として退けようとする傾向があることも否定できない。
政治的教養の教育は,学校においてはもちろん,〈あらゆる機会,あらゆる場所〉において尊重され,生涯学習を通して市民生活のなかで生かされなければならない。今日の政治は,地域での日常的生活に深くかかわり,国際政治の動きもまた,日常生活を大きく規定しているのであり,その政治的教養の視野は,日常の現実生活を貫いて,世界の政治の動きについても,総合的,批判的認識と判断力を養うものでなければならない。民主主義の実現と世界平和の確保は,人間のそして国民の権利としての政治教育の成否にかかっているといえよう。なお,〈教育〉の項目のうち[教育と政治]を参照されたい。
執筆者:堀尾 輝久
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政治教育とは何かということは、教育の内容として「政治」をどう解するかによって、その意味内容が異なってくる。田中耕太郎はそれを「政治の理念や現実に関する一般的な理論や法則」と「現実の社会において存在する政党政派の立場や具体的な政策・主張」という二つの意味に解している。この場合、前者の意味で政治教育とは「政治に関する一般的基礎的な知識を授け、現実の政治についての判断力、批判力、信念などを養うことを目ざす教育」を意味し、後者の意味では、「社会の成員に対して、特定の政治意識、政治的イデオロギーを注ぎ込むために行われる教育」を意味する。たとえば、政党、労働組合および各種の政治結社、社会団体などで行われる教育がそれにあたる。
[林 忠幸]
第二次世界大戦後の民主教育の基本理念を確立した教育基本法の第8条は、政治教育について次のように規定している。「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」(1項)、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他の政治的活動をしてはならない」(2項)と。1項は、教育の自由の原則のもとに、国家社会の構成員(公民)として必要な政治的識見を涵養(かんよう)することの重要性を説いたものである。これは、前述した広い意味での政治教育を意味する。2項は、教育の政治的中立性の原則のもとに、公教育機関としての学校がその児童・生徒に特定の政党政派の政治意識、政治的見解を注入することを禁止したものである。このような狭い意味での政治教育は、学校教育から締め出されているのである。
しかし、実際に政治教育を行おうとすると、さまざまな問題や困難性に逢着(ほうちゃく)する。それは、とりわけ国家と教育との関係において現れる。国家は政治権力によって、その政治的価値の実現を目ざし、国家=政治体制の存続と発展を目ざす。教育はそのための手段に組み込まれる。近代国家は、教育を公教育として国家の統制と配慮のもとに置いてきた。教育は、こうして合法的に国家の支配下に置かれることになる。
その場合、国家が示す基準(たとえば「学習指導要領」)が唯一の正当性を主張し、それから外れる、あるいはそれに違反する政治教育は、政治的中立性の確保という大義名分のもとに、いわゆる「偏向教育」として断罪される。現実のなまの政治問題を教材として取り上げ、児童・生徒を真の判断力、批判力をもった公民にまで育成しようとする政治教育は、当然現実の政治批判にならざるをえず、それは国家権力の側には、特定のイデオロギー教育として映る。そのとき国家は、物理的強制力を伴う権力の行使によってすらも、そのような教育を排除しようとする。しかし逆に国家も、教育の政治的中立性原則をかざしながら、特定のイデオロギーを擁護し、それを公教育のなかに忍び込ませようとする危険性をもつ。特定の政治意識、政治的イデオロギーを注入する教育は、それが積極的なものであれ消極的なものであれ、あるいは国家によるのであれ教師によるのであれ、公教育の場から排除されなければならないことは、もちろんのことである。しかしそのことをおもんぱかるあまり、本来の政治教育「良識ある公民たるに必要な政治的教養」の育成を図る教育がおろそかにされてはならないのである。
[林 忠幸]
『堀尾輝久著『現代教育の思想と構造』(1971・岩波書店)』▽『解説教育六法編修委員会編『解説教育六法』(1986・三省堂)』
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