宗教教育(読み)シュウキョウキョウイク

デジタル大辞泉 「宗教教育」の意味・読み・例文・類語

しゅうきょう‐きょういく〔シユウケウケウイク〕【宗教教育】

宗教的情操や信仰心を養うことを目的とする教育。日本の場合、国公立学校が特定の宗派の宗教教育を行うことを禁止しているが、私立学校では自由参加の形態でこれを行うことを認められている。

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精選版 日本国語大辞典 「宗教教育」の意味・読み・例文・類語

しゅうきょう‐きょういくシュウケウケウイク【宗教教育】

  1. 〘 名詞 〙 宗教について教育すること。また、宗教的精神を教育する学校行事または授業時間。政教分離を原則とする日本の場合、公教育では特定の宗派教育を行なうことは禁止されているが、私立の学校では自由参加の形態でこれを行なうことが認められている。国教のある国々では宗教の時間が設けられているところもあるが、その場合も宗派的な活動に陥らないよう配慮されていることが多い。
    1. [初出の実例]「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(出典:日本国憲法(1946)二〇条)

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改訂新版 世界大百科事典 「宗教教育」の意味・わかりやすい解説

宗教教育 (しゅうきょうきょういく)

広義には聖職者養成を目的とした教育を含むが,一般的には,世俗人の絶対者(神・仏)への帰依,信仰心の育成を目的とした教育をいう。宗教教育は,絶対者の前における人間の平等を教えた反面,現世の秩序・権力への服従を肯定しがちな傾向を示した。学校における宗教教育の位置づけは,(1)教育の最高目標,(2)諸教科のなかの一つ,(3)学校教育からの排除(教育の世俗化)の三つに大きく分けられるが,近代学校では(1)(2)から(3)への移行が世界的流れといえる。

宗教教育は,原始社会にあっては,部族社会の日常生活のなかで行われていたとみてよい。宗教教育がとりたてて論議されたのは,キリスト教にあっては,(1)ローマ帝国でそれが国教と認められたとき,(2)宗教改革期,(3)市民革命期から公教育制度確立期,であろう。

 キリスト教を国教と事実上公認した392年のテオドシウス帝の勅令以後,西欧は宗教的にはキリスト教に統一され,国家権力によって支持されたキリスト教会による教育の独占が始まった。キリスト教の教義の初歩を教える学校である問答学校catechumenal schoolは,異教徒をキリスト教徒として洗礼することを目的に2世紀ころ起こり,国教化後の5世紀に最盛期を迎えるが,教会学校が発達してくると,8~9世紀に消滅する。6世紀になるとベネディクト会など各種の修道会が創設され僧侶の養成にあたったが,8世紀ころから世俗の子どもをうけいれて教育にあたった。これが僧院学校monastic schoolである。これと並行して聖堂学校cathedral schoolでも僧侶志願者や貴族の子弟の教育にあたったが,12世紀ころには衰退してしまう。このほか中世には,世俗子弟の宗教教育機関として教区学校,唱歌学校があったが,いずれも暗記・暗誦の教育を行った。

 宗教改革期はプロテスタント,カトリックの双方における宗教教育の一大転換期であった。自派の信仰心の強化策,自派への改宗策として宗教教育に力が入れられ,その目的で義務教育制度がつくられた。ルターは信仰統一・思想統制をはかるため,民衆子弟を強制就学させる必要性を唱え,聖書のドイツ語訳にとりくみ,聖書や福音書を〈読み聞かせる〉学校の設立を説いた。また教材としての教理問答カテキズム)の作成にもあたった。ルターの思想は,メランヒトン,J.ブーゲンハーゲン,J.シュトゥルムらによって具体化され,ドイツ各地に学校制度が設けられた。ジュネーブを本拠として宗教改革運動にとりくんだカルバンも,宗教的指導者の養成を目的としたアカデミーの設立と学校制度改革に力を注いだ。他方,カトリック側はトリエントで宗教会議を開き(1545-63),プロテスタント側と対決する姿勢を固めるとともに,貧困児童に対して宗教教育を中心にスリー・アールズ3R's(読み,書き,算)を無償で教える教会付設学校の開設を決めた。そのなかで反宗教改革運動として効果的に活躍したのが,F.ザビエルらを同志としてイグナティウス・デ・ロヨラが創設したイエズス会である。同会は軍隊的組織と規律をもった教育団体として青少年の教育,とくに中等教育にたずさわり,社会の支配者層の育成にあたった。またアフリカや極東にまで会士を送って植民活動をささえ,その地にミッション・スクールをつくって精力的に異教徒に対する改宗教育を展開した。1555年のアウクスブルクの宗教和議や98年のナントの王令により不十分ながらも信仰の自由がみとめられ,ドイツでは領邦君主の信仰に応じてその保護の下に宗派教育が行われた。

 宗教教育を教育の核に据えた18~19世紀の教育者にペスタロッチフレーベルがいる。彼らは教育による社会の改善,民衆の解放と生活向上を意図したもので,三十年戦争によって荒廃したヨーロッパにあって教育の普及による平和な社会の実現,国際平和の実現を願ったチェコスロバキアの大教育学者コメニウスの系譜をひくものである。フランスでは,ナントの王令がルイ14世によって1685年に廃止されるが,ユグノーに対する弾圧はそれ以前から始められ,ユグノーの子どもに対する改宗教育政策が進められた。ルーアンにキリスト教学校修士会を創設したJ.B.ラ・サールやリヨンのC.デミアによる宗教教育を中心とした貧民の無償教育も,この政策に呼応したものであった。女子修道会〈新カトリック〉を指導したフェヌロンの《女子教育論》(1687)も,貴族の娘たちをキリスト教の立場から良妻賢母として育成することを目的としたものであった。

 18世紀中ごろになるとフランスでは動揺しはじめた絶対主義体制を補強し,王権を強化する立場から,ウルトラモンタニズム(教皇至上主義)に対する批判が強まり,この主義をとるイエズス会がフランス全土から追放され,彼らの経営するコレージュは閉鎖された。空白の中等教育を国家主義の立場から再建する案としてのラ・シャロテーの《国民教育論》(1763)は,宗教教育は学校の任務ではなく教会の任務であるとして,宗教教育を学校から排除することを主張し,当時の啓蒙思想家たちに歓迎された。革命期には非キリスト教化運動が進められ,コンドルセの公教育改革案に代表されるように,思想・信教の自由の立場で学校教育から宗教教育を排除し,それを家庭の親の責任に帰した。これは学校と教会の役割の分離の理論化であり,信仰を私事とする近代民主主義思想の当然の結論である。義務,無償,世俗という近代学校教育制度の三原則を確立した1882年のJ.F.C.フェリーによる改革では,教育科目としての〈道徳・宗教〉科は〈道徳・市民〉科とかわり,公立小学校からいっさいの宗教教授を除外し,かわりに日曜日以外の週1日を休校日とし,この日を家庭が信じる宗教・宗派の教会での宗教教育にあてる日とした。1902年にはこの措置を国公立の中等学校にも適用し,04年には修道会による普通教育機関の経営を禁止した。ここに教会と学校の分離が法制化され今日に至っている。É.デュルケームの《道徳教育論》(1925)は宗教教育をほどこさなくても子どもが道徳的な社会存在・人間になることを論じたものである。

 産業革命期に入ったイギリスでは,18世紀末から19世紀初頭にかけて日曜学校運動が展開された。これはR.レークスの提唱になるものであるが,労働者子弟の道徳的退廃・非行を宗教教育によって防止することを目的に展開されたもので,その後性格を変えてアメリカでも展開されていった。また,19世紀半ばにイギリスで始まったYMCAYWCAの運動は,やがて欧米をはじめ各地に広まるが,これらはキリスト教による社会教育運動といえよう。

 なおイスラム教国には,民衆の初等教育機関としてのコーラン学校(クッターブ)がある。そこではアラビア語のコーランの講読と暗誦,日常礼拝の方法を教授するが,近代的・西洋的学校制度の普及によって数少なくなってきている。

日本にあっては,明治維新直後,政府は祭政一致・神仏分離を断行して廃仏毀釈の運動を起こし,一時仏教は沈滞した。維新政府は国家神道を思想統一の原理として利用し,政教分離をとりながらも神道を超宗教的な扱いとした。1899年の教育と宗教の分離訓令にみられるように,公教育における宗教的中立性がたてまえとされていたが,1891年の内村鑑三の不敬事件(教育勅語への拝礼拒否)に触発されたキリスト教排撃の世論の高まりや,同年の久米邦武事件による皇室至上主義的な天皇神格化の世論によって,天皇崇拝と結びついた国家神道の教育が国民道徳の名のもとに行われた。1930年代には学童・生徒に神社への参拝が強制され,教科学習の教材に神道が使用された。第2次大戦後,46年の新憲法で信教の自由が確立され,47年の教育基本法は〈宗教に関する寛容の態度〉の尊重,国公立学校での〈特定の宗教のための宗教教育その他の宗教活動〉の禁止を定めた。66年11月の中央教育審議会はその答申〈期待される人間像〉において,〈聖なるものに対する畏敬の念〉をもつことが宗教的情操であるとして,公教育における宗教教育の導入をよびかけたが,多くの世論の批判をうけた。
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大学事典 「宗教教育」の解説

宗教教育
しゅうきょうきょういく

[宗教教育の分類]

宗教教育の語は,もっとも狭義には特定の宗教の教えを説く教育を指す。19世紀初頭までのアメリカ合衆国に見るごとく,西欧の大学では政治とキリスト教とは長く不可分の関係にあった。植民地時代のカレッジは,「宗教的な目的と性格を持つにもかかわらずではなくて,まさにそうであるがゆえに公的な機関だった」のである(M. Curti et al.)。政教分離体制をとる現代の日本では宗教教育は宗教系の私立校でのみ許されている。しかし,教育機関が宗教に関わる場面はそれに限るものではなく,多様であるため,日本では①宗教知識教育,②宗教(的)情操教育,③宗派教育の3分類を用いて整理するのが学術的には慣例となっている。

 ①は歴史等の一般教科で,宗教に関する知識を客観的に伝える教育であり,これは政教分離に抵触しないとされ,国立大学を含めた公立校でも認められている。③は上記の狭義の宗教教育,すなわち特定の宗教への信仰をはぐくむための教育である。授業のほか,集団礼拝,課外活動等を通して行われる。何らかの教化・感化を目指すものであるため,日本の公立の教育機関では行うことはできない。両者の中間に位置づけられた②は,特定の宗教に限定されない宗教的情操を養う教育で,これを公立の教育機関で実施できるかどうかについては議論がなされてきた。宗教的情操とは,「生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念」(1966年中央教育審議会「期待される人間像」),「自己を超えたもの,無限なものへの畏敬」(宗教倫理学会『宗教と倫理』第15号,2015年11月)などと表現されてきたもので,いわば広義の信仰心である。世の中は目に見える物質だけで成り立っているわけではない,自分は人間を超えた存在に「生かされている」のだという認識を持ち,感謝すべきだということを教えるものである。このように宗教的情操教育は一つの宗教に偏った教育ではないが,公立の教育機関でも可能かというと,反対派はこれを特定の価値を植えつける教育と見て,政教分離に反すると主張してきた。他方推進派は宗教的情操なくしては道徳教育は完成されない,エゴイズムは克服されないと考え,公立の教育機関全般でこれが実施されることを求めてきた。

 まとめれば,①は知育,②と③は徳育にあたるため,後者には戦後日本社会での道徳教育をめぐる論争が直結する上に,政教分離に関する解釈の相違,すなわち政教分離を,政治(公共圏)と宗教を完全に分離することととるか,特定の宗教を優遇・差別しなければ政治・公共の場に宗教が存在してもよいのだととるかという問題が加わり,議論が複雑化している。現状では大学を含めた公立の教育機関での②の実施は認められていない。

 英語では宗教教育は一般に「religious education」だが,日本語と同じく宗派教育のニュアンスが強いため,さまざまな代替概念が提案されている。たとえば知育に限定した宗教教育を「learning about religion」とし,徳育(旧来の道徳教育よりも哲学教育的なものが想定されることが多い)的なものを「learning from religion」としたり,伝統的な宗派教育を「confessional religious education」,多文化主義教育の視点から多様な宗教を学ぶアプローチを「non-confessional and multi-faith religious education」と呼んだりといった例がある。宗教的情操教育に近い概念には,「spiritual education」がある。

 諸外国の公立の教育機関で宗教教育が行われるかどうかは,その国の政治体制に左右される。たとえばイギリスの宗教教育は国教制であるため,公立の教育機関でも宗教教育が必修科目として存在するが,その内容は20世紀後半の社会情勢の変化とともに「confessional religious education」(キリスト教教育)から,「non-confessional and multi-faith religious education」へと移行した。連邦制の合衆国は20世紀前半まで,州立大学(アメリカ)のうち4分の1が,出席任意とはいえ,集団礼拝の機会を提供していた。他方,1960年代には私立大学の多くが宗教科目の必修要件を廃止したのも事実である(Marsden)

[宗教教育に関わる資格]

なお,大学の教職課程には,宗教科の教員免許を取得するためのプログラムがある。この宗教科は宗教系私立校での宗派教育の授業(宗教科目)を指す。しかし,国公立でも宗教科の免許を取得できる大学がある。つまり,宗派教育が一切行われていない大学の中で,宗教系私立校で宗派教育を施せる教員を養成していることになるわけだが,その不整合はとくに問われてはいない。また,宗教系私立大学の多くには,聖職者養成のための教育課程が存在する。一般に仏教系大学では僧階課程,神道系大学では神職課程と呼ばれており,修了した者は聖職者資格を取得する(修了後にさらに試験等を受ける宗派もある)
著者: 藤原聖子

参考文献: 國學院大學日本文化研究所編『宗教と教育―日本の宗教教育の歴史と現状』弘文堂,1997.

参考文献: 江原武一編著『世界の公教育と宗教』東信堂,2003.

参考文献: Curti, M. et al., The University of Wisconsin: A History, Vol. I, 1974.

参考文献: Marsden, G.M. et al eds., The Secularization of the Academy, New York: Oxford University Press, 1992.

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宗教教育」の意味・わかりやすい解説

宗教教育
しゅうきょうきょういく

宗教に関する知識を豊かにし、宗教の理解を深めることによって、人間の宗教的敬虔(けいけん)と宗教的情操を高めることを目ざす教育。

 宗教は法のような外部的要請とは異なり、個人の内面に働きかけることによって、教育の基本的目標でもある人格的成熟と文化的発展の基礎を提供する。この意味で、宗教は教育の目標と密接な関連をもっている。したがって宗教的事項の教育内容への組み込みが、当然のこととして要求される。しかしその際、宗教に関する歴史的・一般的知識を諸宗教に対して公平に取り扱うことが必要である。これは、宗教に対する偏見と誤解を是正し、正しい宗教的情操を育成する前提でもある。とりわけ宗教的寛容については、配慮がなされなければならない。宗教的寛容は、各人の世界観的立場や人格の尊重に通じる。

 一般に人は宗教の問題にきわめて不寛容な態度をとり、歴史的にも宗教が迫害や戦争の原因ともなってきた。他者の信仰に寛容であるということは、自己の立場の真理を確信しつつ、他者の立場と人格を尊重し、同時に、同情や思いやりを示すという、人間同士の倫理的関係を自覚することでもある。この自覚は宗教教育だけでなく、広く道徳の問題でもあるが、この意味で宗教教育が道徳教育の基礎でもあると考えられている。

[田代尚弘]

日本

わが国における宗教教育は、現行の教育基本法第9条において、宗教に関する寛容の態度と、社会生活における地位の尊重とが説かれているが、国公立学校における宗教教育の中立性の保持、あるいは特定宗派のための国公立学校における宗派教育の禁止が定められている。私立学校においては宗教教育の自由が留保されている。教育基本法の立場は、憲法第19条の「思想及び良心の自由」、第20条の「信教の自由」の保障を教育の場で具現化しようとするものである。

 「良心の自由」は究極的に個人の内面にかかわる要件であり、外部からの強制を加えることは許されない。その意味で「良心の自由」は「信仰の自由」に該当する観念ということもできる。「信仰の自由」の侵害者とは、国家その他の団体、個人を問わない。とくに国家は、宗教的信仰について価値判断を下すことはできないし、また判断を下してもいけない。国家は、国民の好む宗教を選択する自由を保障しなければならず、この限りで国家による宗教的中立性とその教育の中立性が要請されるのである。

 歴史的には、1899年(明治32)8月3日文部省訓令第12号において、公立学校、あるいは小学校令や中学校令に基づく私立学校での宗教教育は禁止された。だが神道(しんとう)は制度的に宗教から除外されていたので、実質的には神道が国教とされ、教育と結合された。やがて国家主義体制の強化のなかで、精神主義と道義の高揚の必要から、文部省は1935年(昭和10)に学校における「宗教的情操の涵養(かんよう)」の指令を発し、学校での特定宗派に偏しない一般的・宗教的情操教育を奨励した。第二次世界大戦後は、神道は国教的性格を失い、教育から完全に払拭(ふっしょく)され、個人の「信仰の自由」と国家による宗教的中立性が憲法上確定された。

[田代尚弘]

外国

諸外国においても公教育と宗教のかかわり方は、ほぼ次のように分かれる。(1)フランスのように公立学校で宗教教育を行わない型、(2)ドイツやイギリスのように公立学校で宗教教育、宗派別宗教教育を行うもの、(3)アメリカのように一般的宗教科目を設けて、一般的宗教教育だけを行うもの、の3類型である。

[田代尚弘]

『平塚益徳著『学校教育と宗教』(1951・目黒書店)』『田中耕太郎著『教育基本法の理論』(1961・有斐閣)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宗教教育」の意味・わかりやすい解説

宗教教育
しゅうきょうきょういく
religious education

特定の宗派の信仰へ導く教育。または,宗教に対する理解を深め,宗教によって人格を形成しようとする教育を意味することもある。国民の信仰する宗派が異なる場合,宗教教育は公立学校では行なわれがたく,日本では明治以来,公立学校から宗教教育が分離され,現行の教育基本法 (平成 18年法律 120号) でも「宗教に関する寛容の態度,宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は,教育上尊重されなければならない」 (15条) としながら「国及び地方公共団体が設置する学校は,特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」 (同条2項) と規定しており,宗派的宗教教育は,宗教に関係ある私立学校や日曜学校YMCAYWCAその他宗教団体の教育活動にゆだねられている。欧米では,宗教と教育は古くから密接な関係があったが,公教育制度の発展に伴って,宗派別宗教教育はしだいに公立学校から分離され,全体として公立学校は俗化の傾向をたどった。宗派的宗教教育のおもな内容は,(1) 宗派の教義,(2) 聖典,(3) 宗派の歴史,聖人の事跡,(4) 実践上の倫理,(5) 賛美歌,祈祷文,(6) 宗派の祝祭日の意義,儀式などである。

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百科事典マイペディア 「宗教教育」の意味・わかりやすい解説

宗教教育【しゅうきょうきょういく】

信仰心,宗教的情操や知識を高めることを目的とする教育活動。近代以降,公教育と宗教との関係が問題となり,フランスで公教育から一切の宗教を除いているのをはじめ,公立学校からの宗教教育の排除(教育の世俗化)が世界的傾向である。英国やドイツなどでは一般宗教的教授を行う宗教科を置く。日本では天皇制と結合した神道教育が国民道徳の名で行われてきたが,第2次大戦後新憲法で信教の自由が確立され,教育基本法によって公立学校における特定の宗教のための教育は禁止されている。

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