教養の概念(読み)きょうようのがいねん

大学事典 「教養の概念」の解説

教養の概念
きょうようのがいねん

教養は,字義通りでは「教え養う」の意味しかなく,したがって教育(教え育てる)と同義であり,英語ではeducation,culture,ドイツ語ではBildungがそれにあたる。しかし,大正期には「文化の享受を通しての人格の完成」という特別な意味をもたされて(大正教養主義)旧制高校文化に浸透した。さらに第2次世界大戦後は,リベラルアーツ(liberal arts)訳語として大学のカリキュラム概念として用いられたり,学際学問分野のこととして用いられたりすることによって,日本の大学教育を混乱に陥れてきた概念である。

 教養は,古来の漢籍中の語彙を網羅したとする『字源』に熟語としての記載はない。つまり,『孟子』を字源とする教育とは違い,明治期になって登場した近代熟語で,しかも,その意味は字義通りの教育,教化であった。そして,明治の知識人は,西洋知識を取り入れつつもその基礎を江戸期の儒教としていたため,修身斉家治国平天下的知徳である「修養」の語が,人格の完成のための修練を指すものとして使われていた。明治末期に第一高等学校の校長としてその校風を刷新したとされる新渡戸稲造が用いたのも修養の語であった。

 しかし,これが大正期には,新しい時代の知識人たちによって文化,とくに西洋哲学的知識の享受を通しての人格の完成という概念として特殊に使われることになる。その意味での教養の概念は,明治中期から大正初期まで東京帝国大学で哲学を担当したドイツ系ロシア人のケーベルの影響を受けた,主として夏目漱石門下の人々によって形成されたといわれている。この文化の香りは高いものの,政治性を持たない知識人たちによって生み出されたおびただしい書籍が,読書という形で旧制高等学校に浸透し,教養という概念が学生たちの脳裏に刻まれた。それは「大正教養主義」と呼ばれ,プチブル的との揶揄を受けていた流れでもあった。

 したがって,この概念は旧制高校の学生文化に深く浸透した概念ではあるが,そのカリキュラムに組み込まれたものではなく,正規の教育で育まれた語学力を基礎にしつつも寮生活の一部であった読書によって培われたものであった。ところが,戦後の改革で一般教育を一般教養(日本)といい,リベラルアーツを教養と訳すことによって,それがカリキュラム概念として用いられるようになった。戦後改革は,文科と理科からなる旧制高等学校,専門学部の集合体の旧制大学,専門教育のみの旧制専門学校,初中等学校教員を養成する師範学校を,一般教育と専門教育とからなるアメリカモデルの総合大学に再構成するものであったが,そこで決定的な齟齬が発生した。日本の大学人は,アメリカの専門教育がリベラルアーツ分野と専門職分野の違いを基礎に構成されていることを理解していなかったのである。再編時の当時の代表的専門分野でいえば,文・理・経済学が前者で,法・医・工・農・商学が後者に当たるが,そうした意識がまったく欠けていたと考えられる。

 一般教育の原語はジェネラル・エデュケーションであり,それは初中等教育で用いられ,旧制高等学校の用語でもあった普通教育(日本)のことであり,普通教育に特定職業向けの科目は用いずにリベラルアーツ科目,つまり文・理学の科目が当てられる。一府県一大学原則のもと,大多数の旧制高校は大学の文理学部になり,師範学校は学芸学部となり,ともに一般教育も担当するという,アメリカではアーツ&サイエンス等の名称で存在したリベラルアーツ学部に相当する役割を担った。ところが,その原理を理解しない日本の大学人は,一般教育を一般教養と呼び,それのみを担当する教養部(日本)を設置する方向に動いた。

 さらに,東京大学では第一高等学校等の旧制高校の文科・理科に相当する文学部・理学部があることから,文科系では後者の文学部に欠けていた地域研究や国際関係論といったいわゆる学際分野の専門を設置し,理科は理学を基礎科学科と称して,全体を教養学部と名乗った。ここから教養=学際のイメージが生まれ,のちに新構想大学の一つとして設立された放送大学では,教養学部の全専攻を学際的な名称のものとした。次の混乱の原因は,アメリカのリベラルアーツ・カレッジそのものとして作られた国際基督教大学がその設置する学部を教養学部と称したことにある。なぜ,リベラルアーツの直訳たる「学芸」を名乗らなかったのかは,旧師範学校が真の意味を知らずにその名称の学部・大学に転換していたからだと推測される(旧師範系の学芸学部は,のちに教育学部に改称)

 その後,教養という語は十分な概念として吟味されないまま,たとえば1991年(平成3)のいわゆる大学設置基準の大綱化時には「パンキョウ(日本)」とも称された一般教養の語の使用が教養部の解体とともに消える一方で,2006年全面改正の教育基本法に「大学は,学術の中心として,高い教養と専門的能力を培う」と規定されるなど,大学界でイメージ的な用語として多用され,混乱は複雑さを増している。
著者: 舘 昭

参考文献: 簡野道明『字源』北辰館,1923.

参考文献: 舘昭『大学改革日本とアメリカ』玉川大学出版部,1997.

参考文献: 筒井清忠『日本型「教養」の運命』岩波書店,1995.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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