神や仏に参ったとき供える米,または祓(はらい)や清めの目的でまき散らす米。サンゴ(散供),オサゴ(御散供),ウチマキ(打撒)などといい,白紙に米を包んで一方をひねったものをオヒネリともいうから,もとは神への供え物である米を意味したが,米の霊力によって悪魔や悪霊を祓うためにまき散らすこととなった。たとえば,《延喜式》記載の大殿祭(おおとのほがい)の祝詞の注に,出産にあたって産屋に米をまき散らし,米の霊力によって産屋を清めたことがみえている。また《日向国風土記》逸文には,火瓊瓊杵(ほのににぎ)尊が日向の高千穂の峰に天降ったとき,急に暗くなったので,多くの稲の穂をもみにして投げ散らすと明るくなった記事がみえている。いずれも散米によって邪悪なものを祓い,神聖な空間を現出しているのであるが,同様のことは《宇津保物語》《栄華物語》《今昔物語集》などにも記されている。米に限らず,節分の豆まきや12月1日の川祭(川浸り)の餅まき,棟上祝の餅まき,寺院の生飯(さば)などのように,食べ物をまく行事が各地にある。これらは散米と同じ意味をもち,その土地にひそむ悪霊や邪悪な魔物に食べ物を供えて供養し,同時に穀物の霊力によってそれらを祓い鎮めようとしたものである。
→米
執筆者:坪井 洋文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
神仏や墓所に詣(もう)でたとき、あるいは祓(はらい)を行うときにまき散らす米。ウチマキ、オヒネリ、サンクなどともいう。オヒネリはその包み紙をひねるからの称であるが、サンクは散供であって、散らすお供物の意味である。しかしお供物はもともと散らすべきものではなく、もっぱら奉るべきものであった。それを散らすというのは、その対象がこの場合は人より下位の精霊(せいれい)にあるからであった。すなわち散米は本来荒び疎(うと)び来るものに与えて満足させて去らせるという、神道儀礼としての道饗(みちあえ)、仏教儀礼としての施餓鬼(せがき)と同趣のものであった。それがのちには混乱し、霊なるものを対象とする米であれば、すべてこれを打ちまきとも散供ともいうようになったのである。
[石塚尊俊]
…熱帯の植物である稲は,日本列島以外から渡来してきたために,天孫降臨神話とは別に,弘法大師のような貴い僧が持ち帰ったとか,ツルが運んできたとかの伝説が各地に伝えられているのも,米の神聖性とともに外来の作物であることを反映している。打蒔(うちまき),散米(さんまい)とか散供(さんぐ)といって,神や仏の前などで米をまく習俗があるが,これは米の霊的な力によって邪悪な霊を追い払い,そこを聖域にしようとする意図をもっている。 米が霊的な力をもつという観念は,人間の一生の儀式にも見られる。…
※「散米」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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