日本大百科全書(ニッポニカ) 「文化進化主義」の意味・わかりやすい解説
文化進化主義
ぶんかしんかしゅぎ
人類の文化は原始時代から今日に至るまでの間に進化、発展してきたとする考え方。社会に焦点をあわせた場合には社会進化主義という。人類学の分野では進化主義人類学といい、19世紀に栄えた古典的進化主義と20世紀なかばに台頭した新進化主義がある。
古典的進化主義は、ダーウィンの『種の起原』(1895)に始まる生物進化論の影響を受けて成立したものであり、現存する世界の多様な文化の違いを進化段階の違いとみなし、諸文化を通時的に位置づけ、人類文化史の再構成を試みた。代表的な学者とその説をあげれば、E・B・タイラーは『原始文化』(1871)を著して、宗教はアニミズムに始まり、死霊や精霊の信仰などを経て多神教となり、最終的に一神教へと進化したと論じ、L・H・モルガンは『古代社会』(1877)のなかで、社会は蒙昧(もうまい)→野蛮→文明と進化し、たとえば婚姻制度は乱婚から集団婚へ進み、複婚を経て単婚(一夫一妻制)へ至ったとした。そのほか、J・G・フレーザーは呪術(じゅじゅつ)→宗教→科学という進化を主張し、『金枝篇(きんしへん)』(1890)を著し、H・S・メインは『古代法』(1861)で身分社会から契約社会への進化を論じ、J・J・バッハオーフェンは母権→父権という図式を『母権論』(1861)のなかで論じた。彼らは、人間精神は同一の法則に支配されており、したがって文化はどこでも同じように、しかも向上的に発展するという考え方に基づき、文化の独立発生を主張し、あらゆる文化は低次から高次へと一系列的に同じ段階をたどって進化することをさまざまな文化要素について論じたのである。
しかし、これらがなんら根拠のない、単に推論の域を出ないこと、文化はかならずしも独立に発生し一系列に進化するものではないこと、文化や社会の各要素を他の要素との関係や全体から切り離して論じたこと、そして西欧文化をもっとも進んだものとみなし自民族中心主義的な価値観に基づいていることなどのために、その後厳しく批判され、今日ではほとんど否定されている。たとえば、いかなる未開社会にも乱婚はみられず、また過去にあったという証拠もない。彼らがもっとも原始的とみなす狩猟採集社会にも一夫一妻制や一神教がみられるのである。文化が絶えず変化していることは事実であり、全体としてはそれを進化・発展といえるであろうが、特定の価値観をもって現存文化を序列づけることに問題があるといえる。しかしこのような考え方は今日でも根強く残っている。
新進化主義は、文化・社会の研究がその後伝播(でんぱ)を重視する見方(伝播主義)を経て、機能や構造の分析を中心とするもの(機能主義、構造主義)になり、社会や文化を静態的、共時的に研究するだけで、変化や歴史の問題を扱わない、あるいは扱えなくなったことに対する一つの批判としておこった。しかし新進化主義は、古典的進化主義のような全世界的規模で図式化を行うことを排し、確実な議論を行える地域やテーマに限定して、文化や社会の進化を具体的、実証的に明らかにしようとしている。代表的な学者の一人J・スチュワードは、メソポタミア、エジプト、中国、中南米などで初期農耕から定住共同体が形成され、さらに国家が成立する過程で、文化や社会の発達には共通性や法則性がみられることを示し、文化の多系進化を唱えた。またM・D・サーリンズとE・R・サービスは、単系進化と多系進化の対立といった考え方を退け、一般進化と特殊進化を分けて考えることを主張している。しかしこれら新進化主義の評価は今後の問題である。
[板橋作美]