死者の霊魂。「しりょう」ともいう。死者を単に死者としてみるだけで、死霊の観念を伴わない社会もあるが、霊魂の存在を信じる所では、たいてい、人間は死んでも肉体が滅びるだけで霊魂は存在し続けると考えられ、そのような死者の霊魂はさまざまな形で生者と関係をもち、生者の生活に影響を与えると信じられている。アフリカのサン人のような狩猟採集民にも死霊の観念があり、死霊を恐れたり、敬ったりする社会は多くみられるが、死霊の観念は社会によってさまざまであり、死や死後の世界についての観念、あるいは霊魂観と切り離して考えることはできない。
死霊が生者にとって友好的で生者に恵みや保護を与えてくれる善霊的な場合と、生者に死や病気などの災禍をもたらしたり人間に取り憑(つ)いたりする悪霊的な場合がある。死霊の性格は社会によって異なり、また同じ社会でも、どのような人間の死霊かによって違ったり、さらに、同じ死霊が善悪両方の性格をもっていることも少なくない。一般に死霊は恐れられるが、とくに近親者の死霊ほど恐ろしいと考える社会がある。たとえば西アフリカの農耕民タレンシの社会では、先祖の霊は子孫が罪を犯すと怒って罰を与えるとされ、とくに死んだ父母の霊の威力は強く、その子供を殺すことがあるといわれる。他方、たとえば中国では死霊のたたりの観念はあるものの、祖霊が自分の子孫に災いを与えることはほとんどなく、むしろ子孫を保護する慈悲深い存在である。
日本では一般に、人間に災いを与える死霊の多くは親族関係のない他人の死霊であり、とくに非業の死を遂げた者の霊は恐れられる。ただし日本の場合、そのような死霊も適切な方法で丁重に祀(まつ)れば、その威力は人々に恵みをもたらすものに変わる。日本で先祖の霊がたたりをおこすのは、たいてい子孫が先祖を十分に供養していない場合である。祖霊が処罰的であるか保護的であるかは、社会構造、親族構造のあり方と関係していると考えられる。
新しい死霊は家の近くを浮遊しているとされることがあるが、多くの場合、死霊は墓場やうす暗い所などの特定の場所に、夜や朝夕などの特定の時間、あるいは特定の季節に出没すると考えられている。また生者の世界に対する死者の世界があり、死霊はそこに住んでいると考えることもある。他人の霊や幽霊はたいてい突然に現れるが、日本の盆行事のように、祖霊が決まった日に生者を訪問しにくると考える社会もある。死霊は幽霊のように人間の姿で現れることもあるが、しばしば他の動物の姿で現れるとされる。とくに鳥、蝶(ちょう)、蛾(が)などの空中を飛翔(ひしょう)する動物を死霊と考えることが多い。また異様な姿の動物、たとえば蛇を死霊の化身と考えることもある。
死霊崇拝をH・スペンサーのように宗教の起源と考えたり、E・タイラーのようにアニミズムと多神教の中間に位置づける考え方もあるが、このような文化進化論的なとらえ方は今日ではあまり支持されていない。しかし、死霊に対する恐れ、崇拝は、多くの社会で宗教の重要な部分をなしている。
[板橋作美]
死者の霊魂は49日間、屋根棟(むね)にとどまっているとか、屋敷の周りにいるとかいう。沖縄では四十九日までは家と墓所とを行き来しているという所がある。四十九日を過ぎると山へ行くという例が多い。福島県などでは村里近くの葉山(はやま)という山へ行くといわれる。そしてそこで死霊が浄(きよ)まると、さらに月山(がっさん)、羽黒山などの霊場に行って鎮まるという。一般の家では四十九日を過ぎると、それまで別置しておいた位牌(いはい)を仏壇に納める。
死者の年忌は33年または50年でトイキリといって終わりとしている。このとき墓を倒して杉などの生木(なまき)を立て、それ以後は回向(えこう)しない。仏は神になるなどといい、死霊は個性を失って先祖の霊と合一するものと考えられていた。現代では盆の霊(たま)迎えは墓所へ行くのが普通となっているが、所によっては村近くの山へ行く例が見受けられる。山へ行って火を焚(た)き、霊迎えをするのである。祖霊に対する考え方は時代によって変遷してきている。仏教などの影響も考えられる。人が死ぬとすぐ死霊が信州(長野県)の善光寺参りに行くという信仰をもっている土地が多い。このため死去するとすぐ「死に弁当」をつくって死者に供える。それを持って死霊は善光寺参りをするという。関西方面では那智(なち)(和歌山県)の妙法山とか、伯耆(ほうき)(鳥取県)の大山(だいせん)へ参るという所もある。村里近くの山が開発されて霊の鎮まる場所としては不適当となってきたことも考えられる。
[大藤時彦]
埴谷雄高(はにやゆたか)の長編小説。1章~4章は『近代文学』1946年(昭和21)1月号~49年11月号、5章(1975.7)、6章(1981.4)、7章(1984.10)、8章(1986.9)、9章(1995.11)を『群像』に発表。1935年前後の左翼からの転向期を時代背景に、刑務所から出てきた3人の青年を中心人物として、意識が存在から完全に自由になる世界の可能性を求めて書き継がれている形而上(けいじじょう)学的、存在論的「思考実験」の小説。戦後文学の幻の高峰、わが国では唯一無二の思想小説として、未完、難解であるにもかかわらず、第二次世界大戦後早くから畏怖(いふ)の念をもって語り伝えられている伝説的作品である。
[曾根博義]
『『死霊Ⅰ』『死霊Ⅱ』『死霊Ⅲ』(講談社文芸文庫)』
死者の霊魂で,アニミズムの主要な構成要素。〈しりょう〉ともいう。身体に宿り,これを生かしている生命原理としての霊魂が,その宿り場を離れたり戻ったりするという遊離魂,脱魂の観念をもつ民族は多い。病気や失神,夢などは霊魂の身体からの離脱と解され,死は霊魂の永久離脱とされる。死者の霊魂である死霊は,身体から独立した存在として存続するが,この間に他界観と関連した諸儀礼が行われることが多い。すなわち,死霊は親族・縁者の供養をうけ続けることによりしだいに死穢を脱し,祖霊化して同一集団の祖霊群の仲間に入り,子孫を守護する存在になるとされる。その期間はさまざまである。その過程は生まれた赤子が親族・縁者の庇護の下に成長しおとなの仲間になるのと類似している。インドのトダ族,コタ族やアフリカ諸族に見られる二重葬(複葬)の慣行は,埋葬後一定期間をおいて改めて骨の処置を行うものだが,これは死霊を祖霊化させるための儀礼と目され,沖縄の洗骨もその例であるといえよう。日本の三十三回忌の弔い上げも死霊の祖霊化のための儀礼である。死霊はなまなましく荒々しい存在で,縁ある生者が適切に扱わないとたたりをもたらすとされる。死霊崇拝は死者の鎮魂と慰撫を目的としたものとされる。貴種や権力ある者の死霊は普通の死霊より霊威強きものと観念され,特別の儀礼が行われ,神にまつられることが少なくない。
→祖先崇拝
執筆者:佐々木 宏幹
埴谷雄高(はにやゆたか)(1910-97)の小説。《近代文学》1946年1月号~49年11月号に第4章までを連載したが中絶。第1巻としてまず第3章までを48年に真善美社刊。のち第5章を《群像》1975年7月号に発表,以上を76年に講談社より刊行。第6章は《群像》81年4月号に発表,81年に講談社刊。さらに第7章も《群像》84年10月号に掲載。三輪与志という内省的な主人公を中心に,過激な政治活動の経験をもつ兄の高志,屋根裏の思索者黒川建吉,“一人狼”と自称する革命家の首猛夫(くびたけお),“黙狂”といわれる沈黙者矢場徹吾などが登場する。三輪与志の婚約者津田安寿子を通じて津田家と三輪家との物語の一面をもつが,作品の本質はやや異常ともみえる青年たちの思索と,過去の政治活動における組織悪の告発,および宇宙における人間の能力までも問うた壮大な思想のドラマをなす。精神病院,運河のほとり,三輪家などを背景としながらも,発端からその翌日までで第7章にいたっている。リアリズムをこえた思想小説として評価され,76年に日本文学大賞を受賞。
執筆者:磯田 光一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…病気や失神,夢などは霊魂の身体からの離脱と解され,死は霊魂の永久離脱とされる。死者の霊魂である死霊は,身体から独立した存在として存続するが,この間に他界観と関連した諸儀礼が行われることが多い。すなわち,死霊は親族・縁者の供養をうけ続けることによりしだいに死穢を脱し,祖霊化して同一集団の祖霊群の仲間に入り,子孫を守護する存在になるとされる。…
…死者の霊が一定の期間を経て清められ,やがて崇拝・祭祀の対象とされるようになったもの。心理的にいえば死者の霊は生者に危害を加える恐怖の源泉であるが,しかしこの死霊は供養と祭祀によって浄化されて先祖(または祖先)となり,生者や家や共同体を守る親愛の対象となる。また,かつてH.スペンサーが説いたように進化論的な立場からすれば,先祖にたいする崇拝はカミ(神)にたいする崇拝の一歩手前の段階を示し,先祖の観念をもたない未開宗教よりは一歩進んだ段階をあらわすものといえる。…
…家族または血縁集団の,守護神的な属性をもつ先祖とみなされる霊魂をいう。生者が死者に対して抱く情緒反応には,死者に対する愛情と死体から遊離する死霊への恐怖という,相矛盾した情緒の併存がみられ,死霊が高められた存在である祖霊の性格にもそれが反映されている。祖霊の性格は当該社会の生産構造とかかわり,2類型がみられる。…
※「死霊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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