改訂新版 世界大百科事典 「白話文運動」の意味・わかりやすい解説
白話文運動 (はくわぶんうんどう)
Bái huà wén yùn dòng
中国近代の口語文運動。まず広義に解して,清末の維新運動の中で古典的文語文の限界が自覚され,一部に〈言文一致〉の主張が芽生えて以来の大衆的書面語の創成・普及のための意識的努力全部を指すとすれば,それは,民国時代の〈国語〉を経て今日の〈普通話(プートンホワ)〉に至る近代国民国家としての共通語の形成運動と互いに規定し合いながらその最も重要な一部をなしたものといえる。しかし,文語の特殊な権威が王朝体制の〈礼楽〉秩序の根幹をなす〈文章〉観念に由来した以上,口語文が正統性をかちえるためには,王朝制自体の崩壊を前提とする文学言語の解放が必須であった。1917年,胡適の〈文学改良芻議〉に始まった文学革命における口語文学運動がそれを担った。これが狭義の〈白話文運動〉である。
それ以前の文体改革は,おもに大衆啓蒙の場面でのことにとどまり,漢字という〈形・音・義〉を兼ねもつ文字の独特な芸術を極度に発達させた文語文自体の価値を疑うには至らず,民国初年に共和政府の肝いりで発足した〈国語〉運動機関でも,文語文の個々の文字の〈読音統一〉に関心が集中する状態にあった。そこへ胡適が,正統詩文の価値を文語という言語形式の面から総括的に否定して,文章表現の〈白話〉による一元化を唱え出したのであった。それはただちに文学全般の国民的覚醒を迫る〈文学革命論〉(陳独秀)に増幅され,《狂人日記》(魯迅)などの実作で裏づけられ,さらに五・四運動に次ぐ新文化運動の波に乗って,意外に早く論壇の主流を奪い,学校教育にも一定の反映を及ぼすに至った。とはいえ,実際の〈白話文〉とはどんなものでありかつあるべきかということは,けっして単純な問題でなかった。
〈白話〉が〈文言〉(文語)に対する概念で,既成の〈白話文〉が唐・宋以来禅家儒家の語録や戯曲小説などの俗文学に用いられてきた口語体のそれであることは,いちおう自明であった。特に胡適は,西欧近代の国民国家形成史におけるラテン語文学から諸民族語文学へのルネサンス的転換に範を仰ぎ,文語の〈死文学〉を口語の〈活文学〉がしだいに圧倒するという〈進化〉の保障を文学史に求めまでした結果,明清小説の口語体を著しく推重し,同時に歴とした文語の作までも修辞性の稀薄さを理由に〈白話文学〉中に抱き込んだりした。しかし,新文学のための〈白話文〉は,単なる無文飾の〈白〉(素白(=無色)の白)でなく,同時代の口頭語の〈白〉(道白(=せりふ)の白)を基礎とする新しい文章語をこそ意味するべきであり,他方また,同じ中国語の文章の両局面である〈文・白〉の間を〈死・活〉の別で分断しきるというのも無理な企てにちがいなかった。さらに新知識人たちの現実直視,因襲批判,自我謳歌等々の欲求は,翻訳由来の〈欧化〉体をも必要としたし,文語文学の遺産も活用してならぬ道理はなかった。これらの問題の実作上・理論上の解決は,胡適とはそれぞれに異なった動機から文学革命に呼応した魯迅,周作人,茅盾,郭沫若その他の人々の努力に多くを負っている。
さてこうして多彩に展開した新文学の口語文は,一方の〈国語統一〉運動ともからみながら,またその後30年代の〈大衆語〉論争や40年代の抗日根拠地における〈文風整頓〉運動を経て,大衆の生活方言との関係や知識人の独善傾向などをさらに問われながら,はじめに述べた広義の運動の中に融け込んでいくことになる。
執筆者:木山 英雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報