暉峻康隆(読み)テルオカ ヤスタカ

20世紀日本人名事典 「暉峻康隆」の解説

暉峻 康隆
テルオカ ヤスタカ

昭和・平成期の国文学者,随筆家 早稲田大学名誉教授



生年
明治41(1908)年2月1日

没年
平成13(2001)年4月2日

出生地
鹿児島県曽於郡志布志町金剛寺

別名
俳号=桐雨(トウウ)

学歴〔年〕
早稲田大学文学部国文科〔昭和5年〕卒

学位〔年〕
文学博士

主な受賞名〔年〕
東京都文化賞(第1回)〔昭和60年〕,NHK放送文化賞(第39回)〔昭和63年〕,現代俳句協会大賞(第8回)〔平成8年〕

経歴
大学在学中に井伏鱒二、石川達三らと作家を志すが、江戸文学に引かれ国文学者に。早稲田大学講師、助教授を経て、昭和23年文学部教授。53年名誉教授。井原西鶴研究の第一人者で、西鶴を近代小説の原点として捉えるなど大きな業績を残し、近年の江戸文化ブームの礎を築いた。主著に「西鶴・評論と研究」「西鶴新論」、国文学者の野間光辰と校訂した「定本西鶴全集」などがある。また、くのいち連句会を主宰し、東京都民寄席委員を務めるなど落語川柳、俳句の研究でも知られ、落語家とも交流した。一方、35年頃、目的もなく大学に進学する女子学生を皮肉った“女子学生亡国論”でジャーナリズムをにぎわせたほか、NHK「お達者くらぶ」などテレビやラジオに出演し、率直で軽妙な語り口で人気を集めた。他の著書に「近世文学評論」「蕪村論」「元禄の演出者たち」ほか多数、エッセイ分野でも「日本人の愛と性」「日本人の笑い」「日の丸君が代の成り立ち」「落語入門」「落語の年輪」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「暉峻康隆」の解説

暉峻康隆 てるおか-やすたか

1908-2001 昭和-平成時代の国文学者。
明治41年2月1日生まれ。昭和23年から53年まで母校早大の教授。近世文学を研究。37年ごろ「女子学生亡国論」でマスコミをにぎわせた。洒脱(しゃだつ)な話術でも知られる。60年第1回東京都文化賞。平成8年現代俳句協会大賞。平成13年4月2日死去。93歳。鹿児島県出身。俳号は桐雨。著作に「西鶴―評論と研究」「芭蕉の俳諧」「蕪村論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「暉峻康隆」の解説

暉峻 康隆 (てるおか やすたか)

生年月日:1908年2月1日
昭和時代;平成時代の国文学者;随筆家
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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