中国の六朝の梁代に編まれた詞華集。編者は梁の武帝の長子,昭明太子蕭統(しようとう)。30巻。周から梁に至る代表的な詩文約800編を網羅する。こうした詩華集の編纂事業は3世紀末から始まり,六朝時代を通じてかなりの数に上る詩文の選集が編まれたが,《文選》はその集大成として現れ,唐以後の文学にも多大の影響を及ぼした。選択の基準は,経書,史書(ただし論賛は別),諸子を除く詩文中から,深い内容と華麗な表現を備えた作品を取ることにあったと,昭明太子の序にはいう。作品は文体ごとに37類に分類される。その順序は次の通りである。賦,詩,騒,七,詔,冊(さく),令,教,策文,表,上書,啓,弾事,牋(せん),奏記,書,檄(げき),対問,設論,辞,序,頌(しよう),賛,符命,史論,史述賛,論,連珠,箴(しん),銘,誄(るい),哀,碑文,墓誌,行状,弔文,祭文。うち賦・詩の両ジャンルが最も多く,両者で全体の過半数を占める。賦・詩はさらに内容によって細分され,賦は15類,詩は23類に分かたれている。総合的な視野で文学の範疇を考えるとともに,より狭義の文学として,賦・詩の比重を重くしたと思われる。時代別にみれば,晋の作品が最も多く選ばれており,作者では晋の陸機が多種の文体にわたって最多の作品数を占める。その選択はおおむね公正で,各時代の代表的な作品をまんべんなくえりすぐっている。
《文選》の注釈は隋のころに初めて現れ,唐初期に至ると,曹憲,許淹(きよえん)・李善(630?-689)らがすぐれた注釈を著して,いわゆる〈文選学〉が発展した。なかでも658年(顕慶3)に上進された李善の《文選注》60巻は,重要な意義を有する画期的な業績で,今日なお《文選》は基本的に李善注によって読まれている。李善の注釈の方法は,ことばの典拠や用例を引証することに徹しており,意味の解釈である訓詁には意を用いていない。それから半世紀あまり遅れて,718年(開元6)には,呂延済(りよえんせい),劉良(りゆうりよう),張銑(ちようせん),呂向(りよきよう),李周翰(りしゆうかん)5人の注釈を集成した《五臣注文選》30巻が世に出た。これは語釈を主とした注で,李善注の欠点を補おうとしたものだが,全体に本文の理解が浅く,あまり良いできばえとはいえない。北宋になって,李善注と五臣注を合わせた《六臣(りくしん)注六選》60巻が刊行されて,広く世に行われた。六臣注本には,五臣注を先に李善注を後にしたものと,李善注を先に五臣注を後にしたものの2種がある。現在行われている李善注本は,六臣注本から李善の注釈のみを抜き出したものである。そのほかに撰者不明の《文選集注》旧鈔本が,日本にのみ伝わっている。もとは120巻であったらしいが,現在わずかに20巻あまりが残存する。李善・五臣注のほか,中国ではすでに失われた鈔,音決,陸善経注を存しており,《文選》研究上の貴重な資料となっている。《文選》の日本への伝来はかなり古く,7世紀初めの聖徳太子の十七条憲法にはその影響が見られるとする説もある。奈良・平安両朝においては,知識人にとって必読の書となり,《万葉集》など日本の文学にも多大の影響を与えた。
執筆者:興膳 宏
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中国、南朝梁(りょう)の昭明太子蕭統(しょうとう)が側近の文人たちの協力を得て編集した文章詩賦(ふ)のアンソロジー。800余の作品が37種の文体に分けられている。30巻。漢魏(かんぎ)以来文学創作が活発となり、作品数が増すにつれ、優れた作品の選集が求められるようになった。その集大成として現れたのが『文選』である。先行する他の選集は時代とともに滅んだ。『文選』が選択の対象としたのは、文章詩賦の類で、経書や諸子百家の書および史書などは原則的に除外され、また小説の類は無視されている。時代は春秋戦国の古代から当代の梁にまでまたがるが、当時現存の文人のものは含まれていない。選択の基準は、蕭統の序にみえる「事は沈思に出でて、義は翰藻(かんそう)に帰す」に集約される。内容ある美文が典型とされたのである。後世批判がないわけではないが、全体として漢魏六朝(りくちょう)の文学を具体的作品でみごとに体系づけている。所収の作品が第一級の資料であるばかりでなく、文学理論の書(『文心雕竜(ぶんしんちょうりょう)』など)と並んで六朝文学批評の大きな成果である。唐代科挙の試験に詩賦が課せられたこともあり、『文選』は創作の手本として重んじられた。唐の李善(りぜん)が注して30巻を60巻とし、その系統の清(しん)の胡克家(ここくか)の復刊したテキストが最良とされる。
日本への伝来は古く、すでに「十七条憲法」(604)に本書からの引用が指摘されており、また『万葉集』の部立(ぶだて)も本書の体例をモデルにしているといわれる。さらに万葉の歌人をはじめ、奈良平安の文学には、漢詩文のジャンルのみならず、本書所収作品の影響がみられ、愛読されたことが知られる。そのほか貴重な古鈔本(こしょうほん)がいくつか伝えられており、江戸時代には和刻本も出版されている。
[成瀬哲生]
『斯波六郎・花房英樹訳注『世界文学大系70 文選』(1963・筑摩書房)』▽『網祐次・内田泉之助訳注『新釈漢文大系14・15 文選(詩篇)』(1963、1964・明治書院)』▽『中島千秋訳注『新釈漢文大系79~81 文選(賦篇)』(1977~・明治書院)』▽『網祐次訳注『中国古典新書 文選』(1969・明徳出版社)』▽『小尾郊一・花房英樹訳注『全釈漢文大系26~32 文選』(1974~76・集英社)』▽『戸川芳郎他訳注『中国の古典23・24 文選』(1984、1985・学習研究社)』
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梁(りょう)の昭明太子蕭統(しょうとう)の編。30巻。周より梁に至る百数十人の詩と散文800余を収録し,美文が多い。唐の李善注(りぜんちゅう)など6人の注をあわせた『六臣注文選』60巻があり,日本文学への影響も大きい。
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…将来は,ごく上等の書籍のほか名刺,便箋,挨拶状などが,その特徴を発揮する分野となろう。
[工程]
活版印刷は,活字の製造,文選,植字,印刷という工程で行われる。(1)活字の製造 書体デザインから金属製の文字パターンをつくり,これを母型彫刻機にかけて縮小彫刻し,文字部分を黄銅(シンチュウ)材に精密に彫りくぼめた母型をつくる。…
…各新聞社とも〈編集委員〉という専門記者制度を設けているのは,このためである。新聞記事新聞記者
[製作]
第2次大戦後まで,新聞は,編集局から回ってきた原稿に基づいて活字が拾われて15字詰めに組まれ(文選),それをさらに整理部の指示に従って周囲を罫線で囲んだり,特別の字詰めに組み変えたりし(小組み),それらを集めて紙面1ページ大に組み上げ(大組み),その上に紙型用紙をのせて上から圧力をかけて紙型をつくり(紙型取り),紙型を半円形に曲げたものに600℃にとかした鉛合金地金を流し込んで鉛版をつくり(鉛版鋳造),それを輪転機にかけて印刷する,という工程だった。これをHTS(hot type system)またはホット・メタル・システムhot metal systemという。…
…中国で,古く書翰は,1尺の長さの木牘,きぬ(帛),紙などに書かれたので,尺牘,尺素,尺楮(せきちよ)などの名があるという。書翰が文学ジャンルの一つとして位置を占めたことは,たとえば《文選》に〈書〉という部類が立てられ,そこに司馬遷〈任少卿(じんしようけい)に報ずる書〉や嵆康〈絶交書〉などの作品が収められていることからも知られよう。明・清の文人や学者たちについて,それぞれの文集とは別に尺牘集が編まれているのは,書翰の模範文例集としての意味をももった。…
※「文選」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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