日本歴史地名大系 「荒谷村」の解説
荒谷村
あらやむら
- 山形県:天童市
- 荒谷村
荒谷村
あらやむら
近世から大正一二年(一九二三)まで存続した村。近世は東在城下付の一村。松前湾に注ぐ荒谷川河口域に位置し、西は
天明六年(一七八六)の「蝦夷拾遺」では二〇戸たらず、二〇余人。
荒谷村
あらたにむら
荒谷村
あらやむら
荒谷村
あらたにむら
荒谷村
あらたにむら
荒谷村
あらたにむら
日野山北麓の深く入った谷奥にあり、西の尾根境に
享保六年荒谷村明細書(河端家蔵)によれば、田方七町余で一三四石余、畠方三段余で六石余、屋敷二段・家数一四(うち本百姓六・水呑八)・人数六〇(うち男二九・女三一)。また「畑方之儀ハ夏ハ粟・稗、秋ハ蕪大根作り申候」、「井堰五箇所御座候、ふせ木杭木芝石堰ニ而、川はは弐間御座候、此川筋之儀ハ、日野山谷川筋用水ニ引取申候」、「夫銭之事、先年ハ高半家半ニ懸り申候、近年ハ高懸りニ御座候」、「油木畠之内ニ少少植置候へ共、所ニ用申程無御座候、福井御領粟田部村ニ而油実買調しほり用申候」と記す。
荒谷村
あらたにむら
荒谷村
あらだにむら
荒谷村
あらたにむら
荒谷村
あらやむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報