『日本書紀』のおもに欽明(きんめい)天皇の時代(6世紀前~中期)の記事にみえる朝鮮半島の加羅(から)(任那(みまな))に置かれた政治組織。「任那日本府」ともいう。古くは「倭宰(やまとのみこともち)」または「倭府」と表記されていたと思われる。『書紀』では、加羅諸国を日本に従属した一個の政治的統合体(=任那)とみなし、その支配のための出先機関としての日本府の存立を記述している。しかし『書紀』の描く「任那」像、「日本府」像は『書紀』編纂(へんさん)時における支配層の朝鮮観・歴史観に基づくもので、そのまま史実ととらえることはできない。6世紀前半の朝鮮半島では、百済(くだら)・新羅(しらぎ)が加羅地域の併合を図り、一方、加羅諸国は自立した政治的統合体を形成させつつあった。このような状況下、大和(やまと)政権は、加羅問題に関する国際上の利害をめぐってそれらの国々との折衝、調停にあたるため、加羅の安羅(あら)国に将軍を派遣し、その将軍を中心に現地の倭人(わじん)系豪族(以前に朝鮮に派遣されて、そのまま土着した者、またはその子孫)などを含めて組織された政治的・軍事的機構が日本府であった。新羅が金官(きんかん)国を滅ぼした532年から加羅全域を併合した562年までの約30年間存続した。その人的構成は、大和政権から派遣された日本府卿(かみ)を長官として、倭人系豪族が日本府臣(まえつぎみ)・日本府執事(つかさ)などの実務的な役職にあたった。
なお、日本府の実態についてはほかにも多くの学説がある。もともと大和政権とはまったく無縁の組織であった加羅在住の倭人を中心とした政治集団が、『書紀』編纂の際に大和政権の出先機関に置き換えられたとみる説なども注目されている。
[菊地照夫]
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