日田盆地(読み)ヒタボンチ

デジタル大辞泉 「日田盆地」の意味・読み・例文・類語

ひた‐ぼんち【日田盆地】

大分県北西部、筑後ちくご上流にある盆地。盆地底は水田地帯、台地面は畑・果樹園周辺山地は杉の植林が盛んで、「日田杉」として知られる。日本有数の林業地帯。耶馬やば日田英彦ひこ山国定公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「日田盆地」の意味・わかりやすい解説

日田盆地 (ひたぼんち)

大分県西部,筑後川の上流部に当たる三隈(みくま)川流域に広がる断層盆地。盆地床の標高は70~100mで,中心部に日隈(ひのくま)山,月隈山,星隈山の三つの浸食残丘があり,ここから三隈川の名が生まれた。四周の山地から大山川,玖珠(くす)川,高瀬川,花月(はなつき)川などの諸河川流入して三隈川となり,これらの河川の堆積物で盆地床は埋められ,水田化している。盆地床の周囲には,標高130~150mの阿蘇溶結凝灰岩および洪積世の砂礫層からなる吹上原,友田原,上野原,石井原などの湖成段丘が発達し,畑地として利用されている。さらにその周辺には標高200~400mの丘陵状の山地が形成され,杉などの挿木造林が盛んで林業地となっている。古墳時代の遺跡が盆地周辺一帯に分布し,また条里制遺構も盆地床一面に残っている。

 日田林業は,豊富な降水量と深い霧など樹木の生育に適した気候条件と,筑後川水系の水運の便を背景に成立した。明治中期までは樹芸林業(コウゾハゼノキシュロクヌギなど)が主であったが,明治後期から杉やヒノキを中心とする用材林業に転換し発展した。盆地の中心地である日田市北部は,木材集散地であり製材業や木工業(下駄製造など),家具製造業も盛んである。また水郷日田の名をもつ観光地としても知られる。周辺の山間地は,近年の林業不況にともなって人口減少が激しく,過疎化に悩んでいる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日田盆地」の意味・わかりやすい解説

日田盆地
ひたぼんち

大分県西部にある、東西・南北各約16キロメートルの断層盆地。筑後川(ちくごがわ)中流の本・支流が網流し、日隈(ひぐま)、月隈(つきくま)、星隈(ほしくま)などの河食残丘をつくり、三隈川(みくまがわ)の名が与えられ、これに臨む日田の市街は水郷日田の称を有する。周囲は高さ300メートル級の山に囲まれ、一帯は耶馬日田英彦山国定公園(やばひたひこさんこくていこうえん)の一部となる。阿蘇(あそ)溶岩の流入で排水されたといわれ、高度80メートル前後の沖積盆地底は水田、高度100~150メートルの溶岩台地上は普通畑・桑園・果樹園、周辺山地は松・杉などの森林になっている。なお、台地上には銅剣・銅鉾(ほこ)の出土と、古墳の分布があり、『和名抄(わみょうしょう)』の在田(ありた)、曰理(わたり)、石井(いしい)の各郷(ごう)はそれぞれ東部、北部、南部の台地を中心とし、台地が早く開けたことを物語る。

[兼子俊一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日田盆地」の意味・わかりやすい解説

日田盆地
ひたぼんち

大分県西部,筑後川中流域の盆地。東西,南北とも約 6km。筑後川上流の大山川と玖珠川 (日田市日高付近で合流して三隈川となる) ,支流の花月川などの合流点にある。断層によって陥没した低地に湖ができ,新耶馬渓溶岩,阿蘇溶岩が堆積されたのち,浸食により夜明の峡谷がつくられ,盆地の湖水が排水されて形成された盆地。盆地周辺には湖岸段丘がみられ,中央部には3つの浸食残丘があり,日田の三隈 (日隈,月隈,星隈) と呼ばれる。気候は盆地気候で,気温の年較差,日較差が大きく,夏には霧が多い。盆地底は水田となり,周辺の台地の畑地は近年灌漑用水施設が整備され,野菜,果樹の栽培と畜産が行われている。周辺山地では,スギ,ヒノキを中心とする用材林業が中心。中心は日田市。盆地の一部は耶馬日田英彦山国定公園に属する。

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事典・日本の観光資源 「日田盆地」の解説

日田盆地

(大分県日田市)
日本二十五勝」指定の観光名所。

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