日米航空協定(読み)にちべいこうくうきょうてい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日米航空協定」の意味・わかりやすい解説

日米航空協定
にちべいこうくうきょうてい

日本国とアメリカ合衆国との間の民間航空運送協定。1952年(昭和27)8月11日署名、1953年9月15日発効。サンフランシスコ講和条約(第13条)に基づき結ばれた日本で最初の2か国間航空協定で、相互間の航空業務運営に必要な権利を認め合い、航空企業の指定、輸送力運賃、付表による路線の指定などを内容とする。この協定によりアメリカ側は、東京乗入れと無制限の以遠権(特定路線上にある相手国の地点と、それ以遠第三国の地点との間を運航する権利)を入手、日本側の権利との間に重大な不平等が発生した。アメリカ側はこの不平等を認めようとせず、交渉によって日本側が新たに権利を獲得するためには、アメリカ側はそのための見返りとなる等価の代償の提供を要求した。しかしアメリカ側としては必要な、東京とそれ以遠の以遠権は入手済みであり、このような事情が協定改正を困難にしてきた。協定の改正交渉は1959年以来継続され、途中の決裂暫定取決めを含みながら、双方権益拡大の方向で一時を凌(しの)いできたが、日本をはるかに上回るアメリカ航空運送企業の優位のもとでの権益の相互交換は、つまるところ日米間の不均衡を広げる結果となっていた。

 しかし、その後アメリカは、航空運送の路線や便数を完全自由化するオープンスカイ政策を鮮明にし、日本に対しても将来の完全自由化を求め、2009年(平成21)12月、日米間での完全な航空自由化を行うことで合意を得た。この新協定においては、成田国際空港におけるアメリカ側の既得権是正が行われるなど、不平等性の解消がある程度果たされている。

[池田文雄・戸崎 肇 2023年4月20日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日米航空協定」の意味・わかりやすい解説

日米航空協定
にちべいこうくうきょうてい
Japan-U. S. Civil Aviation Pact

民間航空の相互乗り入れに関して日本,アメリカ合衆国両国間で締結されている二国間協定。第2次世界大戦後日本の航空輸送が開始されてまもなく,1951年の対日講和条約第 13条の精神にのっとって,1952年8月 11日,日本にとって初めての二国間協定として調印された。バミューダ航空協定 (1946) の例にならって,原則を定めた本文と,具体的な営業路線を定めた付表からなる。日本の立場の弱い時期に締結されたため,本文第 10条に示されている「両国に公平かつ均等な機会を与える」という原則は,当初は必ずしも守られなかった。この不平等是正のために交渉が繰り返されたが,アメリカ側はそのたびに新しい条件を持ち出すなど,日本側の不利が改められるまでには長い年月がかかった。アメリカ側はなお運賃の自由化とチャータ便の自由化を求めている。 2004年 10月現在,日本は国内 24都市と世界 42カ国・地域 118都市との間で国際航空ネットワークを形成している。 (→国際航空協定 )

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百科事典マイペディア 「日米航空協定」の意味・わかりやすい解説

日米航空協定【にちべいこうくうきょうてい】

日米間の航空路や運行便数などについて締結された協定。1953年に締結され,その後3回改定。当初は国力の差を反映して,以遠権の行使など日本側に不利な内容であった。そのため1976年以降,たびたび改定交渉が持たれ,1998年1月ようやく最終合意に至った。新協定では,以遠権や日米間の路線や便数の設定で自由な運行権を持つ先発企業を日米それぞれ3社と同数にすること,後発企業は5社とし新たに週70便の運行を認めることなど,日米間の不平等が是正された。この合意の有効期間は4年と定められ,2001年には航空自由化(オープン・スカイズ)を議題として交渉が再開される。

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