日本大百科全書(ニッポニカ) 「日高孝次」の意味・わかりやすい解説
日高孝次
ひだかこうじ
(1903―1984)
海洋物理学者。宮崎県広瀬村(現、宮崎市)に生まれる。1926年(大正15)東京帝国大学理学部物理学科を卒業、ただちに中央気象台(現、気象庁)に入り、翌年海洋気象台(現、神戸海洋気象台)に転じ、春風(しゅんぷう)丸(初代)による日本近海の近代的な海洋観測と、理論的研究に従事した。1934年(昭和9)帝国学士院(現、日本学士院)から、「湖沼の振動及び海流に関する海洋物理学的研究」によって東宮御成婚記念賞を受賞した。1942年東京帝国大学教授となり、前年創設された地球物理学教室で第一講座(海洋物理学)を担当した。その間、中央気象台海洋課長なども務め、さらに東京大学海洋研究所初代所長(1962)、東海大学教授を歴任した。海洋物理学とくに海流理論、風成海洋循環理論、湖水の振動(セイシュ)について百数十もの論文がある。学術の国際交流にも努力し、海外の多くの大学の交換教授、国際会議の代表になり、日本の海洋学の国際的な地位向上に尽力した。宇田道隆(うだみちたか)、岡田光世(おかだみつよ)、三宅泰雄(みやけやすお)(1908―1990)らと図り1941年日本海洋学会を設立、会長(1948~1967)となった。海外からの受賞も1966年(昭和41)の「モナコ大公アルベール1世記念メダル」をはじめ数多い。若い海洋学者の育成にあたる一方、若い男女の健全な交際を目的とし、1946年ごろより妻の艶子(つやこ)とともにいわゆる「日高パーティー」を主宰し、1978年の解散まで多くの良縁を結実させたのはよく知られている。主著に『海流』(1955)、『海洋学との四十年』(1968)、『海流の話』(1983)などがある。
[半澤正男]