旧法党(読み)きゅうほうとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「旧法党」の意味・わかりやすい解説

旧法党
きゅうほうとう

中国の宋(そう)代に形成された官僚の政治的集団。第7代皇帝哲宗(在位1085~1100)朝の初め、宰相に就任した司馬光(しばこう)を中心先代神宗朝に施行した諸改革に逐一の批判を加え、可能な限りそれ以前の体制に復帰させようとしたが、すでに進行していた新しい官僚主義の流れを止めることはできず、政治的には挫折(ざせつ)した。しかし、同じく王安石と思想的に対立する程顥(ていこう)・程頤(ていい)兄弟が儒学に新しい息吹(いぶき)をよみがえらせたことから、新法党蔡京(さいけい)一派の対外政策の失敗を機に大きく士人の心をつかみ、南宋の対金政策の推移とも絡んで、政界にうつ然とした勢力を醸成することになった。とくに慶元の党禁として知られる韓侂胄(かんたくちゅう)による朱熹(しゅき)(朱子)の学派の弾圧以後、かつて同じ運命にあった元祐(げんゆう)の党派として回顧され、改めて両者の親近性が確認された。伝統的秩序と人間関係を重視するこの党派は、政治的には久しく不遇であったとはいえ、やがて中国の歴史に一つの明確な理念を投影することになった。

[山内正博]

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改訂新版 世界大百科事典 「旧法党」の意味・わかりやすい解説

旧法党 (きゅうほうとう)
Jiù fǎ dǎng

中国,北宋の後半,王安石の革新政策=新法に反対した集団の総称。江南の先進経済地の現実を背に,中小自営農民の保護,貨幣経済を基礎とした新法党に対し,旧法党は北方の大地主・豪商の利権を代弁する保守的色彩が強い。司馬光,呂公著らが領袖で,哲宗の元祐年間(1086-93)政権を握ると新法をすべて破棄,その後の新旧両党の争いを招いた。蜀党(蘇軾(そしよく)),洛党(程頤(ていい)),朔(さく)党(劉摯(りゆうし))などの派閥がある。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「旧法党」の解説

旧法党(きゅうほうとう)

北宋晩期の朋党(政党)の一派。王安石,蔡京(さいけい)の新法党に反対した守旧派。文彦博(ぶんげんはく),司馬光らを中心とし,のちには道学系(宋理学)の学者も加わった。政争は激烈をきわめ,本来の主義,主張を逸脱し,北宋末の政情を不安定にした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「旧法党」の意味・わかりやすい解説

旧法党
きゅうほうとう
Jiu-fa-dang; Chiu-fa-tang

中国,北宋の神宗,哲宗,徽宗の時代に,改革的政策をとる王安石蔡京らの新法党に反対した保守一派。特に司馬光はその代表的人物。徽宗のとき宰相の蔡京によって弾圧され,その勢力は衰えた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「旧法党」の解説

旧法党
きゅうほうとう

北宋の王安石らの新法党に反対した保守官僚の党派
司馬光らが中心で,既得権益を守ろうとする地主・商人の華北出身者が多かった。王安石の失脚後,政権をとることもあったが,新法党との対立から政治的混乱を招き,国力を低下させた。

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