山下奉文(読み)やましたともゆき

精選版 日本国語大辞典 「山下奉文」の意味・読み・例文・類語

やました‐ともゆき【山下奉文】

  1. 軍人。陸軍大将高知県出身。航空本部長兼航空総監となって航空兵力の充実に尽くした。第二次世界大戦中、シンガポール満州フィリピン方面の軍司令官となる。戦後フィリピンで戦犯として処刑。明治一八~昭和二一年(一八八五‐一九四六

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20世紀日本人名事典 「山下奉文」の解説

山下 奉文
ヤマシタ トモユキ

昭和期の陸軍大将



生年
明治18(1885)年11月8日

没年
昭和21(1946)年2月23日

出生地
高知県香美郡土佐山田町

学歴〔年〕
陸士(18期)卒,陸大〔大正5年〕卒

経歴
オーストリア大使館兼ハンガリー公使館付武官、陸軍省軍事課長などを経て、昭和10年軍事調査部長となり、11年の2.26事件では反乱軍に対し好意的立場をとる。その後、13年北支那方面軍参謀長、14年第4師団長(満州)、15年航空総監、16年7月関東防衛司令官歴任。同年11月第25軍司令官となり、太平洋戦争開戦とともにマレー半島上陸作戦を指導し、17年2月シンガポールを占領一躍国民的英雄となる。18年大将に昇格。19年第14方面軍司令官としてフィリピンへ転戦するが、アメリカ上陸軍との戦闘で壊滅的な打撃をこうむる。敗戦後、フィリピンにおける日本軍の戦争犯罪に関して最高責任者としての責任を問われ、マニラ絞首刑に処せられた。

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改訂新版 世界大百科事典 「山下奉文」の意味・わかりやすい解説

山下奉文 (やましたともゆき)
生没年:1885-1946(明治18-昭和21)

陸軍軍人(大将)。高知県出身。陸軍士官学校陸軍大学校を卒業。オーストリア大使館兼ハンガリー公使館付武官,陸軍省軍事課長などをへて1935年に陸軍省軍事調査部長に就任し,翌年二・二六事件の勃発に際しては反乱軍に対して好意的立場をとる。また,北支那方面軍参謀長時代の39年には天津の英仏租界を封鎖するという強硬方針をとって,国際問題を引き起こした。太平洋戦争が開始されると,第25軍司令官としてマレー攻略作戦を指揮し,短期間のうちにシンガポールを陥落させて一躍,国民的英雄となった。その後,44年にはフィリピンの防衛にあたる第14方面軍司令官となり,アメリカ上陸軍との戦闘を指導したが,潰滅的打撃をこうむって山中で敗戦を迎えた。敗戦後,フィリピンにおける日本軍の戦争犯罪に関して最高責任者としての責任を問われ,マニラで処刑された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山下奉文」の意味・わかりやすい解説

山下奉文
やましたともゆき

[生]1885.11.8. 高知
[没]1946.2.23. マニラ
陸軍軍人。第2次世界大戦におけるシンガポール攻略にあたり,イギリス軍司令官 A.パーシバルに「イエスか,ノーか」と無条件降伏を迫ったことで有名。 1905年陸軍士官学校,16年陸軍大学校卒業。 18年参謀本部員,オーストリア駐在武官,歩兵第3連隊長,32年陸軍省軍事調査部長,40年航空総監などを歴任。皇道派とみられていたが,二・二六事件では行動を起さなかった。 42年満州の第1方面軍司令官,43年大将。 44年フィリピンの第 14方面軍司令官に転じ,アメリカ上陸阻止作戦を指導し敗れた。戦後,マニラの軍事裁判 (→山下裁判 ) によって絞首刑となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山下奉文」の解説

山下奉文 やました-ともゆき

1885-1946 大正-昭和時代前期の軍人。
明治18年11月8日生まれ。北支那方面軍参謀長,航空総監を歴任。太平洋戦争では第二十五軍司令官としてシンガポールを攻略。昭和19年第十四方面軍司令官となりフィリピン防衛にあたる。陸軍大将。戦後マニラの軍事裁判で捕虜虐待などの責任をとわれ,昭和21年2月23日処刑された。62歳。高知県出身。陸軍大学校卒。
【格言など】私は知らなかった。しかし,私に責任がないとは言わない(捕虜虐待の責任をとわれて)

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百科事典マイペディア 「山下奉文」の意味・わかりやすい解説

山下奉文【やましたともゆき】

軍人,陸軍大将。高知県生れ。陸軍大学校卒。皇道派の青年将校を支持。太平洋戦争が始まると,マレー方面軍・満州第一方面軍・フィリピン方面軍で司令官を務めた。戦後,マニラの軍事裁判でフィリピンにおける日本軍の戦争犯罪の責任を問われ,死刑。

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367日誕生日大事典 「山下奉文」の解説

山下 奉文 (やました ともゆき)

生年月日:1885年11月8日
昭和時代の陸軍軍人。大将
1946年没

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世界大百科事典(旧版)内の山下奉文の言及

【バギオ】より

…町は09年マニラに次ぐ2番目の政令都市に昇格,植民地時代の夏の主都として有名であった。45年9月フィリピンの日本軍(山下奉文大将)は,ここのアメリカ軍キャンプ(ジョン・ヘイ)で降服に正式調印した。マニラからの道路距離は250km,〈パイン・シティ〉の愛称をもつフィリピン最大の高原避暑地として現在もシーズン中はたいへんにぎわう。…

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