改訂新版 世界大百科事典 「時禱書」の意味・わかりやすい解説
時禱書 (じとうしょ)
book of hours
キリスト教の平信徒のために書かれた個人用祈禱書。時禱(正しくは時課)とは毎日の定時の祈禱をいう。
起源,内容
時禱書の前身として,中世初期にもっとも一般的に使用された個人用祈禱書としての《詩篇》を重視する説と,聖職者用の聖務日課書(抄本)breviaryがその手本である,とする説がある。聖務日課書は,かつて聖書,賛歌,交誦,集禱文など数冊に分かれていたが,種々の便宜と目的のため12世紀にモンテ・カッシノ修道院などで1冊の抄本にまとめられ,以後急激にヨーロッパ各地に普及したものである。この二説のほかに,すでに8世紀の修道士アニヤンのベネディクトが,とくに聖母賛美のための《聖母マリアの小聖務日課書》という《詩篇》や聖務日課書の一種の補遺を聖職者用に編纂しており,それが11世紀にフランスやイギリスの修道院で愛好され,やがて13世紀末以降,とくに北ヨーロッパで平信徒の間で個人用祈禱書,すなわち時禱書として普及しはじめたとする説もある。
内容は各時禱書によって多少異なるが,一般的には,(1)カレンダー・ページ(各月ごとにキリスト教の祝祭日や聖人祝日を記載),(2)四福音書の抜粋,(3)〈オブセクロ・テObsecro te(あなたにせつに願う)〉に始まる聖母マリアの祈禱,(4)同じく聖母への〈オ,インテメラタO intemerata(おお,けがれなき者よ)〉で始まる祈禱,(5)聖母マリアの聖務,(6)聖十字架の聖務,(7)聖霊の聖務,(8)回心の七詩篇,(9)連禱,(10)死者の聖務,(11)諸聖人のとりなしの祈禱,である。
写本工房での制作
聖務日課書が修道院の写字室(スクリプトリウムscriptorium)で,聖務の一つとして修道士の敬虔な祈禱とともに作業が行われたのに対し,時禱書は民間の写本工房で,写字者と幾人かの画家によって制作された。ただし聖務日課書も時禱書も,羊皮紙や子牛皮紙(ベラム)にテキスト,イニシャル,全ページ大の挿絵,余白装飾などを施すのは分担で行われた。時禱書は聖職者による制約を受けないため,種々の点で依頼者の意図や趣向を反映していた。たとえば,王侯貴族や富豪な商人は時禱書を貴重な財産とみなし,表紙を宝石で象嵌させ,テキスト・ページの彩飾を金,銀,高価な鉱石顔料で描かせた。またカレンダー・ページには,各月の黄道十二宮の記号とともに貴人の年間行事(新年の宴会,4月の庭園での遊策)や農民の季節ごとの作業(地域によって農事暦に相違はあるが,6月の干草刈り,7月の穀物の収穫,9月のブドウ摘み)など,中世人の社会生活や日常生活,遊戯や労働などが生き生きと描かれている。このほか余白装飾もきわめて世俗的な色彩が濃い。14世紀イギリスの時禱書では,〈モンキー・ビジネスmonkey business〉と呼ばれる猿や怪獣が人間と戯れる滑稽なモティーフ,動物寓話,若者のスポーツ,ときには聖職者の風刺など,かなり自由奔放な意匠がみられる。15世紀フランスでは,図案化された蔦(つた),蔓(つる),草花などがテキストの余白に一分の間隙もなく多彩に装飾された。15世紀末から16世紀のフランドルの時禱書では,写実的に描写された草花,それにとまるチョウや昆虫(17世紀オランダの静物画の先駆),異国の珍しい鳥獣や貝,個人のコレクションを思わせる宝石,メダル,ロザリオなど,きわめて趣味的な側面もみられる。テキストは依頼者の教養の程度によってラテン語または母国語で書かれている。時禱書は使用される地域(パリ,ローマ,イギリスのセーラムなど)に応じて編集され,その場合カレンダー・ページにはその地域に関連の深い守護聖人の祝日が記載され,特別の祈禱文も加えられる(パリ使用本の聖王ルイの聖務など)。このように,時禱書の外観,内容構成,テキストの長短には,かなり自由な選択がみられる。
美術史的に見た時禱書
ゴシック時代,とくにフランスでは大半の画家は写本彩飾に従事し,絵画の世界では板絵よりも写本画のほうが主流をなしていた。おもな写本彩飾画家としては,14世紀前半イギリスの《グレー・フィッツ・ペインGrey-Fitz Paynの時禱書》や《テーマウスTaymouthの時禱書》などの作家たち,フランスのJ.ピュセルやJ.ド・エダンらがいる。しかし時禱書の最初の黄金時代を築いたのは《ベリー公のいとも豪華なる時禱書》(15世紀初め)を描いたランブール兄弟で,彼らは初めてカレンダー・ページに貴人や農民の生活を季節感のあふれる自然の中に描写した。その後この月暦表現の伝統は,15世紀末から16世紀前半にかけてブリュージュで国際的な写本工房活動を行ったアレクサンダー,S.ベニングやホーレンバウトらに継承された(事実,このベリー公の写本は,16世紀前半ネーデルラント総督マルガレータの時代に,一時メヘレンの宮廷で所蔵され,フランドルの写本制作に影響を与えたと思われる)。そのほか15世紀において絵画史的に高い評価を受けた時禱書としてJ.フーケの《エティエンヌ・シュバリエの時禱書》,無名作家の《ブシコ元帥の時禱書》《ロアンの時禱書》《マリー・ド・ブルゴーニュの時禱書》などがあげられる。しかし中世において一般家庭で母親が子どもの宗教教育を行うのに使用した実用的な時禱書の存在も,等閑視してはならない。
なお1490年ころパリで銅版画の挿図入りの活版印刷の時禱書が発行され,以後16世紀中期にかけてパリ,リヨンで大量に出回ると,写本工房での時禱書の制作もしだいに衰退していった。
執筆者:森 洋子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報