普天間基地問題(読み)ふてんまきちもんだい

百科事典マイペディア「普天間基地問題」の解説

普天間基地問題【ふてんまきちもんだい】

沖縄県宜野湾市普天間のアメリカ軍海兵隊基地をめぐる問題。同基地は住宅密集地にあり,文教地区に隣接し,2004年8月には沖縄国際大学の敷地にアメリカ軍ヘリコプターが墜落する事件が起こるなど,世界でもっとも危険な基地といわれる。湾岸戦争やイラク戦争の時には,嘉手納空軍基地とともに出撃の拠点となった。1945年,沖縄戦の最中にアメリカが用地を接収し,陸軍基地として建設したのが始まり。1960年に海兵隊に移管され,1972年の沖縄返還時も日本がアメリカ軍に提供するかたちで存続が決まった。9割が私有地で,現在も約2800人の地権者がいる。事故の危険と騒音に苦しむ周辺住民の間では基地閉鎖を求める声が上がっていたが,普天間基地はアメリカ軍の極東・中東戦略の重要拠点であるため,実現は困難と見られていた。しかし1995年,アメリカ軍海兵隊の少女暴行事件をきっかけに,沖縄県全体で起こった基地反対運動で,日米両政府は沖縄駐留軍全体の見直しを求められ,1996年3月,両政府は5〜7年以内に返還することで合意。県内にヘリポートを含む代替施設を建設することが条件とされた。同年11月,移設の候補地として,名護市キャンプ・シュワブの辺野古沖が浮上。1998年の名護市長選で移設容認派の市長が当選,2002年には県・市ともに辺野古沖合の基地建設計画を受け入れた。日米両政府は基地移転の最終的なロードマップ策定を進め,2006年5月,辺野古沿岸に2本のV字形滑走路を持つ海上基地を建設すること,約8000人の海兵隊員をグアム基地に移すことで合意に達した。しかし,2009年9月に民主党・社民党・国民新党の連立政権として発足した鳩山由紀夫内閣は,普天間基地移転問題の経過を検証することを提起し,鳩山首相は県外・国外移転案も含めて再検討すると表明,アメリカ政府や自治体との折衝を始めたが,アメリカはまったく譲歩をみせず,結局,これまでの日米合意に戻った。この経過は,県外・国外移転という首相表明に大きな期待を寄せた沖縄県民に失望感を残す結果となった。しかし,普天間基地の県内移転にも現地に強い反対があり現地の同意を得ることは至難で,また普天間基地そのものの危険性は依然として変わらない。菅直人内閣,野田佳彦内閣と続く民主党連立政権でも解決からはほど遠い状態が続いた。2013年3月,第二次安倍晋三内閣は,アメリカ政府と沖縄のアメリカ軍基地の部分的な返還計画をまとめ,返還の時期と手順について発表した。それによると2013年より2028年度までに,人口の多い県南部の6基地について約1000haの土地の返還をめざすとしている。しかし,普天間の返還時期は〈2022年度またはその後〉と曖昧なままで,さらに普天間の返還は従来通り名護市辺野古への移設が前提,とされ,抜本的な解決は先送りされたままとなっている。2013年12月,安倍首相は仲井真知事と会談,基地負担軽減策を提示し仲井真知事はこれを高く評価して名護市辺野古沖の埋め立て申請を承認する方針を表明,県として辺野古移設を承認した。民主党政権では辺野古移設に反対して県外移設を主張していた仲井真知事が,安倍政権で姿勢を一転させるかたちとなった。しかし2014年2月の名護市長選では,移設反対派が勝利。沖縄県民の世論調査では,アメリカ軍普天間基地飛行場の名護市辺野古への移設は賛成22%に対して反対は66%にのぼっている。2014年11月に行われた沖縄県知事選では,辺野古沖の埋め立て許可を撤回する表明をしている翁長雄志が当選。得票率は51.6%で37.3%だった次点の現職仲井真に大差をつけた。→辺野古移設問題沖縄基地問題沖縄
→関連項目基地問題

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