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沖縄基地問題 おきなわきちもんだい

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沖縄基地問題【おきなわきちもんだい】

日米安全保障条約に基づく在日米軍基地の約75%が日本の国土のわずか0.6%の沖縄に集中している。そのため,沖縄では1972年の施政権返還以降も基地の重圧にあえいできた。
→関連項目沖縄[県]基地問題日本普天間基地問題辺野古移設問題村山富市内閣

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沖縄基地問題
おきなわきちもんだい

太平洋戦争終結以降の在沖米軍基地をめぐる問題。沖縄県民の安全、福祉、経済だけでなく、日本ひいてはアジア地域全般の安全保障にかかわる重要な問題。近年では、米軍再編に伴う米軍基地移転問題をさすことが多い。太平洋戦争末期、沖縄は3か月に及ぶ激しい地上戦の後、米軍に占領された。戦後、旧日本軍の基地は米軍に接収され、新たな基地も建設された。その後、対日講和条約(1951)によって、沖縄はアメリカの施政権下に入り米軍基地は拡大していった。戦後冷戦体制のなかで朝鮮戦争ベトナム戦争が勃発(ぼっぱつ)し、沖縄は戦場の米軍を支える後方基地として、またアメリカのアジア戦略の要として重要な役割を果たすことになった。1972年(昭和47)には沖縄の米軍基地面積は289平方キロメートルに及んでいた。
 1960年代になると日本は世界第2位の経済大国になり、日米関係も変化した。1972年に沖縄は日本に復帰することになり、米軍基地は縮小されることになった。2009年(平成21)3月時点で、沖縄県における米軍基地面積は233平方キロメートルである。全面返還された米軍基地は31平方キロメートル、一部返還された米軍基地面積は25平方キロメートル、返還面積は合計56平方キロメートルであった。沖縄県の日本復帰後、米軍基地の約20%が返還された。しかし、日本全土の0.6%にすぎない沖縄県に在日米軍基地の75%が集中しているという現実は、さまざまな問題を引き起こしている。日本本土では米軍基地の90%が国有地内に存在するのに対して、沖縄県の場合は国有地内の米軍基地は33%である。民有地内に米軍基地が存在しているという現実は、米軍基地反対運動の大きな原因になっている。
 一方、2007年度において米軍雇用者の所得や軍用地料などの軍関係受取額は2088億円であった。沖縄県の県民総所得に占める割合は、軍関係受取が5.3%、観光収入が10.9%、農林水産業が1.3%である(2007年度)。
 沖縄における米軍基地反対運動の大きな要因として、米軍(兵士)による事故や事件がある。2009年度では米軍による航空機の不時着や原野火災などの事故が59件あった。2004年には米軍の演習等に関連する事故が103件あったことに比べれば、事故の数は減少傾向にあるが、沖縄の住民にとっては深刻な問題である。米軍兵士による犯罪も深刻な問題である。1970年代には年間200件から300件あった米軍兵士による犯罪も、2000年代に入ると50件から70件程度にまで減少した。しかし、依然として2009年度の米軍兵士による犯罪は50件あり、その内、凶悪犯が3件、粗暴犯が13件、窃盗犯が17件であった。沖縄の全刑法犯のなかで、米軍兵士による犯罪が占める割合は0.9%であった。また、2009年度の米軍兵士による交通事故は179件あり、全交通事故件数に占める割合は2.8%であった。
 1995年(平成7)9月の米海兵隊員による少女強姦(ごうかん)事件は沖縄の人々を激高させ、米軍基地撤廃を求める沖縄の人々の声は大きな運動になっていった。米軍の軍用地使用は、日米地位協定による特別措置法により土地収用委員会の採決によって実施されてきたが、沖縄県知事大田昌秀(当時)は米軍基地反対の声が高まるなかで、米軍用地地主の立会署名代行を拒否した。これに対して、内閣総理大臣による訴訟が起こされ、1996年8月28日の最高裁判決で沖縄県知事の敗訴が確定した。
 1995年11月日米両国政府は基地問題の協議機関として沖縄日米特別行動委員会(SACO)を設置した。1996年4月SACO中間報告は、(1)十分な代替施設を建設する、(2)危機の際に施設の緊急使用について日米で共同研究を行うという条件の下で、もっとも危険な基地といわれていた普天間(ふてんま)飛行場の返還を提起した。1996年12月にはSACO最終報告で、普天間飛行場の軍事的機能および能力を維持するという条件で、沖縄本島東海岸に海上施設を建設して普天間基地を移設する方針が決定された。1997年11月には日本政府が普天間基地の移設先として名護(なご)市のキャンプ・シュワブ沖案を発表し、1999年11月には沖縄県知事稲嶺恵一(いなみねけいいち)(当時)が移設先を名護市辺野古(へのこ)沿岸域とすることを決定した。この案に対して名護市長(当時)と名護市議会は受け入れを表明した。1999年12月には日本政府と沖縄県が沖縄政策協議会を開き、日本政府は地域振興開発として10年間に1000億円の支出を約束した。
 2009年、政権交代により民主党の鳩山由紀夫(はとやまゆきお)政権が誕生した。野党時代から普天間基地の県外・国外移転を主張していた鳩山首相は、県外・国外移転を模索したが移転先に対してアメリカの同意が得られず、普天間基地の移転は実現しなかった。普天間基地問題その他の政治的混乱によって鳩山首相は退陣し、菅直人(かんなおと)新政権が誕生した。菅首相はアメリカ大統領オバマとの日米首脳会談(2010年6月27日)において、普天間基地の移転先を辺野古とする日米共同宣言の着実な履行と沖縄の負担軽減に努力することで合意した。
 中国の急速な台頭によって東アジアの安全保障環境は大きく変化している。2010年10月の中国における反日デモでは「収回琉球、解放沖縄」のスローガンも登場した。沖縄の米軍基地問題は日米関係よりも日米中関係のなかで再検討されつつある。[村井友秀]

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