中国の訳経僧。中インド出身。サンスクリット名はダルマクシェーマDharmakema。「どんむしん」とも読む。クチャ(亀茲(きじ))、敦煌(とんこう)を経て、北方民族匈奴(きょうど)族の国、北涼(ほくりょう)に入った。北涼の都、姑臧(こぞう)で、河西(かさい)王沮渠蒙遜(そきょもうそん)(368―433)の帰依(きえ)を受け、諸経典の漢訳を遂行するかたわら、王の政治顧問ともなり、北涼の至宝と仰がれた。訳出経典のうち、とくに『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』40巻(その後これを、法顕(ほっけん)訳6巻本と対校してつくった36巻の南本に対して、北本とよぶ)は中国涅槃宗の興起を促し、また、『菩薩地持経(ぼさつじじきょう)』(『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』の一部)、『金光明経(こんこうみょうきょう)』などは、後世の中国仏教に大きな影響を与えた。彼は433年(義和3)、『涅槃経』の後分にあたる原典を求めて西行を企て旅に出たが、その途中、怪しまれて蒙遜の刺客に殺された。
[柏木弘雄 2017年3月21日]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…後秦のクマーラジーバ(鳩摩羅什)が《妙法蓮華経》を再訳してからは,観音信仰はしだいに隆盛となり,東晋末にはすでにかなりの観音像が造られた。北涼の曇無讖(どんむしん)がパミールを越えて河西に行き,王の沮渠蒙遜の難病をみて,観音菩薩はこの地に縁があるといって普門品を念誦することをすすめ,病苦を除いたことから,普門品だけを単独に流布することになったといわれる。これが《観音経》である。…
…サンスクリット本,チベット訳,漢訳のほか,ウイグル語,満州語,蒙古語などに訳され,東アジアに広く普及したことが知られる。漢訳は5種あったが,現存するのは,曇無讖(どんむしん)訳《金光明経》4巻(5世紀初め),宝貴らが従来の諸訳を合糅(ごうじゆう)した《合部金光明経》7巻(597),義浄訳《金光明最勝王経》10巻(703)の3種で,後世重視されたのは義浄訳である。内容は,仏の寿命の長遠性,金光明懺法,四天王による国家護持や現世利益など雑多な要素を含み,密教的な色彩が強い。…
…中国,北涼の曇無讖(どんむしん)によって漢訳された《大方等無想大雲経》6巻の略称。国王の仏教保護を説くこの仏典には,浄光天女が王位をつぐ,という一節があった。…
※「曇無讖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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