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涅槃宗 ねはんしゅうNie-pan-zong

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

涅槃宗
ねはんしゅう
Nie-pan-zong

中国仏教の宗派の一つ。大乗仏教の伝える『大般涅槃経』に立脚し,そのなかにみえる重要な思想,すなわちこの世の生きとし生けるものには本来仏陀となる可能性がそなわっている (→一切衆生悉有仏性 ) とする思想を基本とする。東晋時代には道生が,仏陀となる素質をもたない人々でさえ仏陀となることができるという説を唱えて思想界に波紋を投げ,南北朝時代には南の地方で,『南本涅槃経』を中心に,その研究が盛んであった。

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デジタル大辞泉の解説

ねはん‐しゅう【××槃宗】

大般涅槃経を所依とする宗派。中国、南北朝の梁代に盛んに行われた。中国十三宗の一。

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世界大百科事典 第2版の解説

ねはんしゅう【涅槃宗 Niè pán zōng】

中国仏教十三宗の一つ。北涼の曇無讖(どんむしん)によって漢訳された《大般涅槃経》40巻を所依の経典として開かれた宗派なので涅槃宗という。〈如来は常住でうつり変わることなし〉と〈一切の衆生に悉(ことごと)く仏性あり〉との教旨を説いた。南朝では慧観(383‐453)らが謝霊運の協力を得て36巻本の南本《涅槃経》を完成させたことから大いに栄えた。しかし,隋代に智顗(ちぎ)が天台宗をおこし,涅槃の教旨を吸収してしまったので,急速に衰え,日本では宗派としての存在は認められない。

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大辞林 第三版の解説

ねはんしゅう【涅槃宗】

中国十三宗の一。「大般涅槃経」を講究した学派。隋代の天台宗の勃興以後衰えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

涅槃宗
ねはんしゅう

中国の仏教学派。大乗の『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』を正依(しょうえ)の経典として研究する学派。中国仏教十三宗の一つ。その盛期は南北朝から初唐にかけた時代である。すでに鳩摩羅什(くまらじゅう)門下の道生(どうしょう)(355―434)は、法顕(ほっけん)訳『仏説大般涅槃経』六巻に基づいて闡提(せんだい)成仏論(正しい法を信ぜず求道心を欠く者も成仏するという説)を主張していたが、まもなく曇無讖(どんむせん)(385―433)によって『四十巻涅槃経』(北本)が、430年に東晋(とうしん)の都建康(けんこう)(南京(ナンキン))に伝えられて以来、中国仏教界における本経講習の気運が急速に高まった。436年に、宋(そう)の慧厳(えごん)、慧観(えかん)、謝霊運(しゃれいうん)は、これを先の六巻本と対校して、36巻本のいわゆる『南本涅槃経』を作成した。爾来(じらい)、宋、斉、梁(りょう)、陳代を通じて、この南本が河南の地で研鑽(けんさん)されたが、とくに梁代が最盛期であった。梁の三大法師といわれた光宅寺法雲(こうたくじほううん)、開善寺智蔵(かいぜんじちぞう)、荘厳寺僧旻(しょうごんじそうびん)は、いずれも本経の研究者であった。また、北方においても、『涅槃経疏(しょ)』15巻を著すほか、長安延興寺にあって涅槃の宗旨を宣顕して多数の弟子を指導した曇延(どんえん)(516―588)や、浄影寺慧遠(えおん)(523―592)など、多数の研究鑽仰(さんぎょう)者を輩出した。なお、梁三大法師以前の涅槃経研究の状況をうかがうためには、梁の宝亮(ほうりょう)(444―509)らの撰(せん)『大般涅槃経集解(しゅうげ)』71巻が貴重な資料である。[柏木弘雄]
『布施浩岳著『涅槃宗の研究』(1942・叢文閣/復刻版・1973・国書刊行会)』

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