生没年不詳。江戸初期の馬術の達人。名は盛澄。讃岐(さぬき)国(香川県)高松の城主生駒壱岐守(いこまいきのかみ)高俊(たかとし)の家来で、1634年(寛永11)正月晦日(みそか)、将軍家光(いえみつ)の芝増上寺参詣(さんけい)の帰途、愛宕(あたご)山の男坂、86段の石段を馬で駆け上り、咲きにおう梅花の枝を手折ってきて賞賛を博した。1640年、生駒家が御家騒動で滅びると、越前(えちぜん)国(福井県)の松平忠直(ただなお)に仕えたが、忠直も罰せられたので浪人したといわれる。また『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』には、備前(びぜん)国(岡山県)の藩士市森彦三郎という者、愛宕山の石段を馬で駆け上るのを念願とし、ついに果たしたと記されている。講談の曲垣平九郎はこの彦三をモデルにし、極端に脚色、『寛永(かんえい)三馬術』の名作になったとも思われる。
[稲垣史生]
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…山上に1603年(慶長8)に京都の愛宕神社を勧請した愛宕神社がまつられ,東側社前の急斜面には男坂,女坂がある。86段ある男坂の石段は,講談《寛永三馬術》の曲垣(まがき)平九郎の話で名高く,社前に曲垣平九郎手折りの梅もあるが,神社には平九郎に関する記録は残っていない。山上には小さな公園があり,また1925年7月,ここに設けられた東京中央放送局の放送所から日本初のラジオ本放送が開始された。…
…講談。曲垣(まがき)平九郎,向井蔵人,筑紫市兵衛を主人公とした典型的な武芸講談。そのうち平九郎が将軍徳川家光の命で芝愛宕山の男坂を馬で乗り上がり梅花を手折る《出世の春駒》が名高い。…
※「曲垣平九郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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