更科源蔵(読み)サラシナ ゲンゾウ

20世紀日本人名事典 「更科源蔵」の解説

更科 源蔵
サラシナ ゲンゾウ

昭和期のアイヌ文化研究家,詩人 北海学園大学教養部教授;北海道文学館理事長。



生年
明治37(1904)年2月15日

没年
昭和60(1985)年9月25日

出生地
北海道川上郡弟子屈町熊牛

学歴〔年〕
麻布獣医畜産学校中退

主な受賞名〔年〕
北海道文化賞〔昭和25年〕,NHK放送文化賞(第18回)〔昭和42年〕「アイヌの伝統音楽」,北海道新聞文化賞〔昭和43年〕

経歴
獣医を目ざして上京したが、体をこわして帰郷。大正末期、高村光太郎らに私淑しながら詩作を進め、昭和5年には開拓農民とアイヌの現実をうたった詩集「種薯」を出版。また、同年農民詩運動として「北緯五十度」を創刊したが、治安当局の圧力で10年に廃刊した。その後、13年6月「大熊座」を創刊、高村光太郎や草野心平らが詩を寄せた。この間代用教員をしながらアイヌ文化の現地調査を進め、戦後は、詩作とともに数多くのアイヌ関係の研究を発表、少数民族問題を訴えてきた。41年北海学園大学教授、のち北海道文学館理事長となる。没後半世紀を経て、平成9年「大熊座」が復刻された。代表作に詩集「凍原の歌」、散文「熊牛原野」、小説青春の原野」、アイヌ研究「コタン生物記」「アイヌの神話」「アイヌと日本人」「更科源蔵アイヌ関係著作集」(全6巻)。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「更科源蔵」の意味・わかりやすい解説

更科源蔵
さらしなげんぞう
(1904―1985)

詩人、郷土史家。北海道弟子屈(てしかが)町熊牛原野に生まれる。東京・麻布獣医学校中退。開拓の辛苦やアイヌの悲史に根ざす叙情が『種薯(たねいも)』(1930)以降10余冊の詩集に一貫する。地方史編纂(へんさん)や『更科源蔵アイヌ関係著作集』全10巻(1981~84)、『北海道の旅』(1979)ほか多数のエッセイ集、自分史としての『原野』(1980)、また長編連作の自伝小説父母の原野』(第1部・1983)などがある。

小笠原克

『『原野』(1980・法政大学出版局)』『『更科源蔵アイヌ関係著作集』全10巻(1981~84・みやま書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「更科源蔵」の解説

更科源蔵 さらしな-げんぞう

1904-1985 昭和時代の詩人,郷土史家。
明治37年2月15日生まれ。麻布(あざぶ)獣医畜産学校を中退し,郷里の北海道にもどる。昭和5年詩集「種薯(たねいも)」で開拓農民とアイヌの現実をうたう。アイヌ文化研究につとめ,自伝,随想を執筆した。41年北海学園大教授。昭和60年9月25日死去。81歳。著作に「コタン生物記」など。

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367日誕生日大事典 「更科源蔵」の解説

更科 源蔵 (さらしな げんぞう)

生年月日:1904年2月15日
昭和時代のアイヌ文化研究家;詩人
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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