朔旦冬至(読み)サクタントウジ

デジタル大辞泉 「朔旦冬至」の意味・読み・例文・類語

さくたん‐とうじ【×朔旦冬至】

陰暦11月1日が冬至にあたること。19年ごとに1回めぐってくることから、瑞祥ずいしょう吉日として、宮中祝宴が行われた。

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精選版 日本国語大辞典 「朔旦冬至」の意味・読み・例文・類語

さくたん‐とうじ【朔旦冬至】

  1. 〘 名詞 〙 陰暦一一月一日が冬至に当たること。一九年に一度あり、これを中古以来瑞祥(ずいしょう)とし、「朔旦の旬(しゅん)」と称して宮中で祝宴が行なわれ、叙位免租などもあった。《 季語・冬 》
    1. [初出の実例]「勅曰、十一月朔旦冬至者、是歴代之希遇、而王者之休祥也」(出典:続日本紀‐延暦三年(784)一一月戊戌)
    2. [その他の文献]〔史記‐武帝紀〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朔旦冬至」の意味・わかりやすい解説

朔旦冬至
さくたんとうじ

陰暦 11月朔日 (1日) が冬至にあたること。この日は,非常にめでたいとされ,朝廷では,宴を催し,公卿たちから賀表が奉られた。また恩赦を行い,田租を免じ,あるいは叙位を行うこともあった。日本で朔旦冬至の祝いの初見は神亀2 (725) 年で,官人に賜禄をしている。暦法上,20年に1回まわってくる。朔旦冬至の年から次の朔旦冬至の前年までの 19年を1章という。貞観3 (861) 年採用され貞享2 (1685) 年に廃された宣明暦 (せんみょうれき) では,わずかのずれが積って,必ずしも1章の初めの年に朔旦冬至が起らず,この場合,暦日を変えて調節した。これを「改暦」という。朔旦冬至の儀式は,朝廷の勢力衰微とともに衰え,江戸時代天明6 (1786) 年,光格天皇が再興したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朔旦冬至」の意味・わかりやすい解説

朔旦冬至
さくたんとうじ

陰暦11月1日が冬至にあたること、またその日。古代中国では、11月の月初めと冬至とをそれぞれ年始とする考え方があり、両者が重なったときを吉日とした。日本では聖武(しょうむ)天皇の726年(神亀3)から朝廷の祝日として祝われ、「朔旦の旬」とよばれる宴会や恩赦が行われた。古代には盛んであったが、中世になって衰微し、暦の変化も原因して、江戸時代の1786年(天明6)が最後となった。なお、朔旦とはついたちの朝の意。

[酒井信彦]

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世界大百科事典(旧版)内の朔旦冬至の言及

【冬至】より

…このときの前年の冬至を天正冬至といい,天保暦以前,すなわち1843年まではこの冬至の日時に暦法で決められている1太陽年の24分の1を加えていって順次二十四節気の日時を求めていたのである。また,冬至の含まれる月を11月とするという決りがあり,とくに冬至が11月朔日に当たると,これを朔旦冬至といって祝賀が行われた。【内田 正男】
[民俗]
 植物の生長がとまったり太陽の光が衰えてくることは不安なことで,太陽復活を願って大火をたいたり,神々の来臨を仰いで危機脱出をはかろうとする祭りが冬至の前後に行われる。…

※「朔旦冬至」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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