ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
陰暦11月1日が冬至にあたること、またその日。古代中国では、11月の月初めと冬至とをそれぞれ年始とする考え方があり、両者が重なったときを吉日とした。日本では聖武(しょうむ)天皇の726年(神亀3)から朝廷の祝日として祝われ、「朔旦の旬」とよばれる宴会や恩赦が行われた。古代には盛んであったが、中世になって衰微し、暦の変化も原因して、江戸時代の1786年(天明6)が最後となった。なお、朔旦とはついたちの朝の意。
[酒井信彦]
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
…このときの前年の冬至を天正冬至といい,天保暦以前,すなわち1843年まではこの冬至の日時に暦法で決められている1太陽年の24分の1を加えていって順次二十四節気の日時を求めていたのである。また,冬至の含まれる月を11月とするという決りがあり,とくに冬至が11月朔日に当たると,これを朔旦冬至といって祝賀が行われた。【内田 正男】
[民俗]
植物の生長がとまったり太陽の光が衰えてくることは不安なことで,太陽復活を願って大火をたいたり,神々の来臨を仰いで危機脱出をはかろうとする祭りが冬至の前後に行われる。…
※「朔旦冬至」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞...
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新