望月優子(読み)モチズキ ユウコ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「望月優子」の解説

望月 優子
モチズキ ユウコ


肩書
参院議員(社会党)

本名
鈴木 美枝子

旧名・旧姓
旧姓=里見

別名
芸名=望月 美恵子(モチズキ ミエコ)

生年月日
大正6年1月28日

出生地
神奈川県横浜市

出身地
東京市下谷区(現・東京都台東区)

学歴
忍ケ岡高女〔昭和5年〕中退

経歴
昭和5年榎本健一が座頭をしていた東京・浅草の第2次カジノフォーリーに望月美恵子の芸名で初舞台。7年新宿のムーラン・ルージュに入団、10年古川緑波一座、15年新生新派にも加わった。戦後は22年滝沢修らの第1次民芸に加わり、25年松竹と契約、「カルメン故郷に帰る」「現代人」など映画の脇役として活躍。26年に優子と改名。28年木下恵介の「日本の悲劇」で初の主演女優を務めたのを皮切りに、久松静児の「おふくろ」、今井正の「米」、山本薩夫の「荷車の歌」などで主演し、庶民の母親役の第一人者といわれた。35年児童劇映画「海を渡る友情」を監督。その後、「ヒロシマ1966」「ヒロシマの証人」に主演するなど、社会問題へ積極的に参加。46年には参院全国区に社会党から出馬して当選、沖縄返還特別委員会委員長などで活躍。52年の再出馬では落選した。著書に「生きて生きて生きて」「生きて愛して演技して」などがある。

受賞
毎日映画コンクール女優主演賞(昭28年度)「日本の悲劇」 ブルーリボン賞助演女優賞(昭29年度)「晩菊」 ブルーリボン賞主演女優賞(昭32年度)「米」 教育映画祭特別賞(昭35年度)「海を渡る友情」,アジア・アフリカ映画祭バンドン賞(第3回)〔昭和39年〕「荷車の歌」

没年月日
昭和52年12月1日

家族
夫=鈴木 重雄(サンケイ新聞文化部長) 妹=中村 雅子(女優)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報