日本歴史地名大系 「朝倉城跡」の解説
朝倉城跡
あさくらじようあと
天保九年(一八三八)
朝倉城跡
あさくらじようあと
標高一〇三メートルの
大永年間(一五二一―二八)頃の本山氏について「元親記」に「東は一宮を堺、西は二淀川、南は浦戸を限り二郡の主也。朝倉の城を居城に持つ」とみえる。梅慶やその子茂辰は朝倉城を拠点として勢力を伸ばし、東の長宗我部氏、西の一条氏と対峙した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報