朝比奈隆(読み)アサヒナタカシ

デジタル大辞泉 「朝比奈隆」の意味・読み・例文・類語

あさひな‐たかし【朝比奈隆】

[1908~2001]指揮者。東京の生まれ。昭和15年(1940)新交響楽団(現NHK交響楽団)を指揮してデビュー。昭和22年(1947)関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)を創立、常任指揮者となる。ベルリンフィルハーモニー管弦楽団シカゴ交響楽団などのオーケストラに多数客演、大阪フィルハーモニー交響楽団を率いて欧州公演を行うなど、海外でも成功を収めた。昭和50年度(1975)芸術院賞受賞、平成6年(1994)文化勲章受章

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「朝比奈隆」の解説

朝比奈 隆
アサヒナ タカシ


職業
指揮者

肩書
大阪フィルハーモニー交響楽団音楽総監督・常任指揮者,日本指揮者協会会長,大阪音楽大学名誉教授

生年月日
明治41年 7月9日

出生地
東京・新宿

学歴
京都帝国大学法学部〔昭和6年〕卒,京都帝国大学文学部哲学科〔昭和12年〕卒

経歴
京大法学部に入学後、京大交響楽団を指導していたロシア人音楽家、エマヌエルメッテルに師事。卒業後、阪神急行(阪急電鉄)に2年勤務。のち京大文学部に学士入学、クロイツァーローゼンストックに師事。昭和11年大阪音楽学校(大阪音楽大学)管弦楽団を指揮、15年新交響楽団(NHK交響楽団)を指揮して本格的にデビュー。18年中国に渡り、上海ハルビンで活動、上海交響楽団などを指揮。21年引揚げ、22年大阪フィルハーモニー交響楽団の前身、関西交響楽団を結成、常任指揮者をつとめる。35年同団解散後、大阪フィルを結成して常任指揮者・総監督に。以来、一貫して大阪フィルと歩んだ。60年からは大阪のザ・シンフォニーホールを拠点に集大成ともいえるシリーズ企画を開始。ベートーベン・チクルス(交響曲全曲演奏)をはじめ、得意とするブラームスチャイコフスキーなどの作品を次々と手掛け、造形的な構成力と重厚な指揮で強烈な個性を発揮した。年末の風物詩となったベートーベン「第九」指揮回数は世界最多の251回。ベートーベン交響曲全集を6回、ブラームス交響曲全集、ブルックナー交響曲全集をそれぞれ3回ずつ録音するなど、ドイツ音楽の伝統を守る最後の指揮者の一人だった。50年度芸術院賞など受賞多数。平成元年文化功労者に選ばれ、6年文化勲章を受章。著書に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」「朝比奈隆 交響曲の世界」「朝比奈隆音楽談義」がある。

所属団体
日本指揮者協会,日本ブルックナー協会

受賞
日本芸術院賞(第32回 昭50年度)〔昭和51年〕,文化功労者〔平成1年〕 紫綬褒章〔昭和44年〕,西ドイツ大功労十字勲章〔昭和52年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和62年〕,オーストリア芸術功労一等十字勲章〔平成1年〕,文化勲章〔平成6年〕 モービル音楽賞〔昭和47年〕,NHK放送文化賞〔昭和49年〕,朝日賞(昭53年度)〔昭和54年〕,毎日芸術賞(第25回)〔昭和59年〕「ブルックナー連続演奏会により」,ザ・シンフォニーホール国際音楽賞(クリスタル賞 第1回)〔昭和61年〕,キワニス大阪賞(第2回)〔昭和62年〕,関西大賞(大指揮者賞 第4回)〔平成1年〕,飛騨古川音楽大賞(創設記念賞 第1回)〔平成1年〕,神戸市名誉市民〔平成6年〕

没年月日
平成13年 12月29日 (2001年)

家族
長男=朝比奈 千足(指揮者)

伝記
オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練朝比奈隆 すべては「交響楽」のために指揮者・朝比奈隆朝比奈隆―長生きこそ、最高の芸術王道楽土の交響楽―満洲―知られざる音楽史朝比奈隆―80代の軌跡 1988〜1996朝比奈隆のすべて―指揮生活60年の軌跡ミューズは大阪弁でやって来た技と芸に生きる―プロフェッショナルの軌跡 中丸 美繪 著岩野 裕一 著宇野 功芳 著木之下 晃 写真・文,岩野 裕一 構成岩野 裕一 著木之下 晃 写真,岩野 裕一 文朝比奈 隆 ほか著奥村 武司 著日鉄商事経営企画室 編(発行元 文芸春秋春秋社河出書房新社新潮社音楽之友社音楽之友社芸術現代社東方出版ダイヤモンド社 ’08’08’02’02’99’96’95’91’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「朝比奈隆」の解説

朝比奈 隆
アサヒナ タカシ

昭和・平成期の指揮者 大阪フィルハーモニー交響楽団音楽総監督・常任指揮者;日本指揮者協会会長;大阪音楽大学名誉教授。



生年
明治41(1908)年7月9日

没年
平成13(2001)年12月29日

出生地
東京・新宿

学歴〔年〕
京都帝国大学法学部〔昭和6年〕卒,京都帝国大学文学部哲学科〔昭和12年〕卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和44年〕,モービル音楽賞〔昭和47年〕,NHK放送文化賞〔昭和49年〕,日本芸術院賞(第32回 昭50年度)〔昭和51年〕,西ドイツ大功労十字勲章〔昭和52年〕,朝日賞(昭53年度)〔昭和54年〕,毎日芸術賞(第25回)〔昭和59年〕「ブルックナー連続演奏会により」,ザ・シンフォニーホール国際音楽賞(クリスタル賞 第1回)〔昭和61年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和62年〕,キワニス大阪賞(第2回)〔昭和62年〕,関西大賞(大指揮者賞 第4回)〔平成1年〕,飛驒古川音楽大賞(創設記念賞 第1回)〔平成1年〕,文化功労者〔平成1年〕,オーストリア芸術功労一等十字勲章〔平成1年〕,文化勲章〔平成6年〕,神戸市名誉市民〔平成6年〕

経歴
京大法学部に入学後、京大交響楽団を指導していたロシア人音楽家、エマヌエル・メッテルに師事。卒業後、阪神急行(現・阪急電鉄)に2年勤務。のち京大文学部に学士入学、クロイツァー、ローゼンストックに師事。昭和11年大阪音楽学校(のち大阪音楽大学)管弦楽団を指揮、15年新交響楽団(現・NHK交響楽団)を指揮して本格的にデビュー。18年中国に渡り、上海、ハルビンで活動、上海交響楽団などを指揮。21年引揚げ、22年大阪フィルハーモニー交響楽団の前身、関西交響楽団を結成、常任指揮者をつとめる。35年同団解散後、大阪フィルを結成して常任指揮者・総監督に。以来、一貫して大阪フィルと歩んだ。60年からは大阪のザ・シンフォニーホールを拠点に集大成ともいえるシリーズ企画を開始。ベートーベン・チクルス(交響曲全曲演奏)をはじめ、得意とするブラームス、チャイコフスキーなどの作品を次々と手掛け、造形的な構成力と重厚な指揮で強烈な個性を発揮した。年末の風物詩となったベートーベン「第九」指揮回数は世界最多の251回。ベートーベン交響曲全集を6回、ブラームス交響曲全集、ブルックナー交響曲全集をそれぞれ3回ずつ録音するなど、ドイツ音楽の伝統を守る最後の指揮者の一人だった。50年度芸術院賞など受賞多数。平成元年文化功労者に選ばれ、6年文化勲章を受章。著書に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」「朝比奈隆 交響曲の世界」「朝比奈隆音楽談義」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝比奈隆」の意味・わかりやすい解説

朝比奈隆
あさひなたかし
(1908―2001)

指揮者。東京生まれ。京都帝国大学法学部を卒業後、同文学部哲学科を卒業(1937)。音楽は橋本国彦(くにひこ)、L・クロイツァーらに師事。1942年(昭和17)大阪中央放送局の専属指揮者となり、太平洋戦争中は中国の交響楽団で活動し、1947年(昭和22)には関西交響楽団を結成して常任指揮者を務めた。1960年同団解散後は、大阪フィルハーモニー交響楽団を結成、総監督および常任指揮者となる。ベートーベン、ブラームス、ブルックナー、シベリウスなどの交響曲をレコード化し、スケールの大きい演奏で音楽ファンの人気を集めた。NHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団などへの指揮のほか、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、シカゴ交響楽団など海外でも指揮をしている。1976年には芸術院賞、1977年西ドイツ大功労十字勲章、1979年朝日賞などを受賞している。1989年(平成1)文化功労者。1994年文化勲章受章。

[美山良夫]

『朝比奈隆他著『朝比奈隆のすべて――指揮生活60年の軌跡』(1995・芸術現代社)』『朝比奈隆著『この響きの中に――私の音楽・酒・人生』(2000・実業之日本社)』『朝比奈隆著『楽は堂に満ちて』(2001・音楽之友社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝比奈隆」の意味・わかりやすい解説

朝比奈隆
あさひなたかし

[生]1908.7.9. 東京
[没]2001.12.29. 神戸
指揮者。 1931年京都大学法学部卒業後,阪神急行電鉄 (現・阪急電鉄) に入社したが,33年に退社し,京都大学文学部に再入学。音楽美学を専攻しつつバイオリンと指揮法を学ぶ。 39年新交響楽団 (現・NHK交響楽団) を指揮してデビューした。 47年関西交響楽団 (現・大阪フィルハーモニー交響楽団) を創立するとともに常任指揮者に就任,以後 50年以上という世界屈指の在任期間を誇った。ベートーベン,ブルックナーなどドイツ音楽の大家として世界的な評価を確立し,77年ドイツ連邦共和国大十字勲章,78年朝日賞を受ける。世界でも最高齢の指揮者になってからも,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など海外での客演をはじめ,日本国内での客演指揮も数多く行なった。 89年文化功労者。 94年文化勲章を受章。『わが回想』『楽は堂に満ちて』などの著書がある。

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百科事典マイペディア 「朝比奈隆」の意味・わかりやすい解説

朝比奈隆【あさひなたかし】

指揮者。京大在学中からバイオリンと指揮法を学び,1939年に新交響楽団(現NHK交響楽団)を振ってデビュー。上海交響楽団などの指揮者を経て1947年関西交響楽団を創設。1960年,同楽団を大阪フィルハーモニー交響楽団として再組織し,常任指揮者・音楽総監督として活動。ドイツ古典派・ロマン派に定評があり,特にベートーベンブルックナーの演奏は評価が高い。ヨーロッパへも数十回楽旅し,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などを振る。1996年にはシカゴ交響楽団への初客演が話題を呼んだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朝比奈隆」の解説

朝比奈隆 あさひな-たかし

1908-2001 昭和-平成時代の指揮者。
明治41年7月9日生まれ。メッテルに指揮法をまなぶ。昭和15年新交響楽団(現N響)を指揮してデビュー。22年関西交響楽団を創立,35年同楽団解散後,大阪フィルハーモニー交響楽団を設立,常任指揮者となる。51年芸術院賞。平成6年文化勲章。平成13年12月29日死去。93歳。東京出身。京都帝大法学部,文学部卒。

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367日誕生日大事典 「朝比奈隆」の解説

朝比奈 隆 (あさひな たかし)

生年月日:1908年7月9日
昭和時代;平成時代の指揮者。大阪フィルハーモニー交響楽団音楽総監督・常任指揮者;日本指揮者協会会長
2001年没

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