クロイツァー(読み)くろいつぁー(英語表記)Leonid Kreutzer

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クロイツァー」の意味・わかりやすい解説

クロイツァー
Creuzer, Georg Friedrich

[生]1771.3.10. マールブルク
[没]1858.2.16. ハイデルベルク
ドイツの文献学者,考古学者。マールブルク大学神学哲学を,次いで文献学,文学史を修める。 1804年から 45年間ハイデルベルク大学で文献学と古代史の正教授。彼の思想は,新プラトン主義的色彩が強いが A.アルニム,C.ブレンターノ,J.ゲレスなどを指導することによって,芸術上ロマン派の運動に結実していく。また彼は神話学を学問的に基礎づけた。しかしその理論は,J.H.ボスや C.A.ロベックなどに激しく攻撃された。主著"Symbolik und Mythologie der alten Völker,besonders der Griechen" (1810~12) 。

クロイツァー
Kreutzer, Conradin

[生]1780.11.20. メスキルヒ
[没]1849.12.14. リガ
ドイツの作曲家。法律を学んだのち音楽に転向し,ウィーンアルブレヒツベルガーに学ぶ。ウィーンのほか,シュツットガルト,ドナウエッシンゲンケルンなどでオペラ作曲家として活躍した。代表作は『グラナダ夜営』 (1834) 。ほかに男声合唱曲や室内楽作品がある。

クロイツァー
Kreutzer, Leonid

[生]1884.3.13. ペテルブルグ
[没]1953.10.30. 東京
ドイツ系のロシアピアニストペテルブルグ音楽院を卒業後ドイツに移り,ピアニストおよび指揮者として活躍。 1921年ベルリン音楽学校の教授となる。 33年日本に移住,日本のピアノ界に大きな足跡を残した。著書に『ピアノ奏法』がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クロイツァー」の意味・わかりやすい解説

クロイツァー
くろいつぁー
Leonid Kreutzer
(1884―1953)

ロシア生まれのユダヤ系ピアノ奏者、指揮者、音楽教育者。生地のペテルブルグ音楽院卒業後ドイツに移り、演奏活動を始める。1921~33年、ベルリン音楽大学教授。31年(昭和6)初来日。33年ナチスに追われて日本に移住、37~53年(昭和12~28)東京音楽学校・東京芸術大学教授を務め、多くのピアノ奏者を育てた。日本楽界の向上に大きく貢献した音楽家の一人。

[岩井宏之]

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