祈禱,追善などのため,大型の数珠を多数のものが早繰(ざらざらぐり)して,同音に唱える念仏のこと。百万遍の念仏に用いる大念珠を百万遍数珠という。百万回の念仏を唱えることを本義とし,これに1人が7日または10日間に100万回念仏を唱えることと,10人またはそれ以上の者が同時に唱えた念仏の総計が100万回におよぶものと2種類がある。後者は100人の集団が念仏を100回唱えれば1万遍となり,同時に自他の唱える念仏の功徳が相互に隔通しあって,総計で100の3乗,つまり100万回の念仏を唱えたのと同じ功徳があるとする。100人は実数ではなく大集団をあらわす数である。鎌倉初期に百万遍念仏が行われたことは,滋賀県甲賀市の旧信楽(しがらき)町玉桂寺の阿弥陀仏像胎内文書で明らかであるが,後世のような大念珠が用いられていたかは不明である。浄土宗で攘災のためにこれを行った最初は知恩寺8世善阿空円と伝える。善阿は1331年(元弘1)後醍醐天皇の勅により7日間にわたって念仏百万遍を修したところ,疫病が終息したので,天皇から〈百万遍〉の寺号と弘法大師利剣の名号を賜ったという。百万遍念仏は〈過去追善,現在祈禱〉(《看聞御記》)に効験があるとされ,室町時代には村々でも盛んとなり,戦国時代には宮中の恒例行事となって,正月,5月,9月の16日に行われていた。今も寺院や村々で鎮魂,追善,農耕(虫送り,雨乞い),除災祈禱などの民俗念仏として伝承されている。
執筆者:伊藤 唯真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…とくに西門は極楽の東門にあたるとされ,西門外念仏所は12世紀に入って念仏の中心となった。出雲聖人の主導した百万遍念仏は,貴賤をとわず,道俗男女が一定期間参詣して念仏し,鳥羽法皇や藤原忠実・頼長らも参加した。西門外の海は極楽への道として,夕日に浄土の想いをはせる日想観(につそうかん)を修し,入水往生を遂げる聖や尼が少なくなかった。…
※「百万遍念仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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