デジタル大辞泉 「木村秀政」の意味・読み・例文・類語 きむら‐ひでまさ【木村秀政】 [1904~1986]航空機設計者。青森の生まれ。昭和13年(1938)設計の航研機が1万1600キロの長距離飛行世界記録を樹立。第二次大戦後、初の国産旅客機YS11を開発。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「木村秀政」の解説 木村 秀政キムラ ヒデマサ 昭和期の航空工学者 航空政策研究会会長;日本大学名誉教授。 生年明治37(1904)年4月13日 没年昭和61(1986)年10月10日 出生地北海道札幌市 出身地青森県三戸郡五戸町 学歴〔年〕東京帝国大学工学部航空学科〔昭和2年〕卒 学位〔年〕工学博士〔昭和20年〕 主な受賞名〔年〕ポールチサンジェ賞(国際航空連盟)〔昭和35年〕,科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰〔昭和38年〕「国産中型輸送機の完成」,交通文化賞〔昭和41年〕,紫綬褒章〔昭和46年〕,勲二等旭日重光章〔昭和50年〕,航空文化賞〔昭和56年〕,五戸町名誉町民 経歴昭和4年東大航空研究所に入り、16年助教授、19年教授。航研機、A26長距離機を設計し、いずれも航続距離の世界記録を樹立、多くの賞を受賞。戦後の22年日大に移り、教授、理事、副総長などを歴任。49年日大名誉教授。日大では軽飛行機、人力飛行機の設計製作を指導。この間、32年国産輸送機関開発技術委員長に就任し、初の国産旅客機“YS11”を実現した。41年には全日空機羽田沖墜落事故技術調査団団長を務めた。ほかに日本学術会議会員、航空科学振興財団理事長、日本航空協会副会長、日本航空学会会長なども務めた。著書に「飛行機の本」「日本航空史」「世界の航空技術」など多数。自伝に「わがヒコーキ人生」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木村秀政」の意味・わかりやすい解説 木村秀政きむらひでまさ [生]1904.4.13. 北海道,札幌[没]1986.10.10. 東京,千代田航空工学者。東京帝国大学航空学科卒業 (1927) 。東京大学航空研究所に入り,長距離機の設計責任者となる。この航研長距離機は 1938年に世界記録をつくった。第2次世界大戦後の 1945年東京大学教授,1947年からは日本大学教授。日本航空機製造 YS-11中型旅客機の設計に関与,同機は 1962年初飛行に成功した。『飛行機の本』『世界の航空技術』など著作も多い。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村秀政」の解説 木村秀政 きむら-ひでまさ 1904-1986 昭和時代の航空工学者。明治37年4月13日生まれ。母校東京帝大の航空研究所にはいり,和田小六(ころく)所長の指導下で航研機の設計にくわわる。昭和20年教授。22年日大教授となり,理事,副総長をつとめる。初の国産旅客機YS-11の開発を指揮した。昭和61年10月10日死去。82歳。青森県出身。著作に「飛行機の本」「わがヒコーキ人生」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「木村秀政」の解説 木村 秀政 (きむら ひでまさ) 生年月日:1904年4月13日昭和時代の航空工学者。航空政策研究会会長;日本大学教授1986年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by