木村 重松(初代)
キムラ シゲマツ
- 職業
- 浪曲師
- 本名
- 荻村 勘太郎
- 旧名・旧姓
- 平木
- 別名
- 前名=吉川 繁之助,後名=木村 重勝(2代目)
- 生年月日
- 明治10年
- 出生地
- 東京・神田お玉池
- 経歴
- 8歳で丁稚奉公、諸々を転々。牛込の石屋に住み込んだ14歳の時、吉川小繁(後の桃中軒雲右衛門)に入門。その後木村重勝に入門、深川の柳川亭で初看板、25歳で真打となった。やるせない関東節が人気を呼び、関東浪曲界の大立者となり、43歳の時浪花節組合の頭取となった。「新蔵兄弟」「大岡政談」「相馬大作」「豊川利生記」「安中草三」「慶安太平記」などが得意のネタで、阿部川町の師匠と呼ばれた。実子の重若丸に2代重松を継がせ、晩年2代木村重勝を襲名した。
- 没年月日
- 昭和13年 12月2日 (1938年)
- 家族
- 息子=木村 重松(2代目),妹=木村 八重子(曲師)
木村 重松(2代目)
キムラ シゲマツ
- 職業
- 浪曲師
- 本名
- 荻村 善四郎
- 別名
- 前名=重若丸
- 生年月日
- 明治37年 6月10日
- 出生地
- 東京・浅草
- 経歴
- 初代木村重松の子。7歳から父の手ほどきを受け、重丸から重若丸と名乗る。昭和9年父が2代目重勝を襲名したのに伴い、2代目重松を襲名した。「太閤記」「堀部安兵衛」などを得意とし、低音の独特な節調と巧みな話芸で知られる。民族芸能の会で中国へも渡航した。
- 没年月日
- 昭和41年 7月4日 (1966年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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木村 重松(1代目)
キムラ シゲマツ
明治〜昭和期の浪曲師
- 生年
- 明治10(1877)年
- 没年
- 昭和13(1938)年12月2日
- 出生地
- 東京・神田お玉池
- 本名
- 荻村 勘太郎
- 旧姓(旧名)
- 平木
- 別名
- 前名=吉川 繁之助,後名=木村 重勝(2代目)
- 経歴
- 8歳で丁稚奉公、諸々を転々。牛込の石屋に住み込んだ14歳の時、吉川小繁(後の桃中軒雲右衛門)に入門。その後木村重勝に入門、深川の柳川亭で初看板、25歳で真打となった。やるせない関東節が人気を呼び、関東浪曲界の大立者となり、43歳の時浪花節組合の頭取となった。「新蔵兄弟」「大岡政談」「相馬大作」「豊川利生記」「安中草三」「慶安太平記」などが得意のネタで、阿部川町の師匠と呼ばれた。実子の重若丸に2代重松を継がせ、晩年2代木村重勝を襲名した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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木村重松 (きむらしげまつ)
生没年:1877-1938(明治10-昭和13)
浪曲家。本名荻村勘太郎。14歳で吉川小繁(のちの桃中軒雲右衛門(とうちゆうけんくもえもん))に入門して繁之助と称したが,のちに初代木村重勝門に入り,25歳で真打に昇進して,哀愁をふくむ関東節の名調子によって関東浪曲界の大立者としての地位を確立していった。43歳で浪花節組合頭取となり,多くの門下を養成したが,晩年は,実子重若丸に2代目をつがせ,自分は2代目木村重勝を襲名した。《慶安太平記》は有名。
執筆者:興津 要
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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木村重松(初代) きむら-しげまつ
1877-1938 明治-昭和時代前期の浪曲師。
明治10年12月4日生まれ。吉川小繁(のちの桃中軒雲右衛門(とうちゅうけん-くもえもん)),初代木村重勝に師事し,26歳で真打に昇進。関東節の「慶安太平記」を得意とし,関東浪曲界の重鎮として活躍した。昭和13年12月2日死去。62歳。東京出身。本名は荻村勘太郎。後名は木村重勝(2代)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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木村 重松(初代) (きむら しげまつ)
生年月日:1877年12月4日
明治時代-昭和時代の浪曲師
1938年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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