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木瀬三之 きせ さんし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木瀬三之 きせ-さんし

1606-? 江戸時代前期の歌人,歌学者。
慶長11年生まれ。山城(京都府)の人。里村昌琢(しょうたく)の門弟。「万葉集」をこのんで講釈し,下河辺長流戸田茂睡にさきんじて古今伝授思想を否定したことで知られる。門人に宮川松堅,今井似閑(じかん)がいる。元禄(げんろく)8年(1695)死去という。名は随宜(よりよし)。号は竹林斎。著作に「三輪若宮縁起」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

木瀬三之

生年:生没年不詳
江戸前期の国学者。名は随宜,正房。通称作兵衛,号は竹林斎。山城(京都)山科の人。京や近江大津にも住む。在世は慶長11(1606)年から元禄8(1695)年の間か。宮川松堅や今井似閑らに影響を与えたことは確かで,彼らの言説に三之の説が反映しているし,彼らによって断片的な人物像が語られもするが,著述も伝わらず,伝記的事実はほとんど空白のままである。詠歌も松堅編『倭歌五十人一首』に若干掲載される程度にとどまる。<参考文献>佐佐木信綱『国文学の文献学的研究』,松本節子「木瀬三之研究序」(『あけぼの』17巻3号)

(久保田啓一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きせさんし【木瀬三之】

1606‐95(慶長11‐元禄8)
江戸前期の歌人。名は随宜,通称作兵衛,竹林斎と号す。山城国山科に生まれ,京都,大津に住む。連歌師里村昌琢(しようたく)の門人で松永貞徳とも交わる。博学賢才の人で,〈すべて古今(集)に伝授など云へる事あるべからず〉と中世から尊重されてきた古今伝授を正面から否定した。これは歌学史上,先駆的な発言である。作歌にも新味がある。宮川松堅,今井似閑は彼の流である。〈志賀の浦や度士考羅(たぴしかはら)も拱(こまぬ)きて浪静かなる春は来にけり〉。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

木瀬三之
きせさんし
(1606―1695)

江戸初期の歌学者。正房、随宣ともいい、竹林斎と号した。京都山科(やましな)に住み、のちに大津に移った。『類字名所和歌集』の著者里村昌琢(しょうたく)の門人。三之自身の著書はまとまった形で残っていないが、契沖(けいちゅう)の『万葉代匠記(だいしょうき)』や、今井似閑(じかん)の編になる『諸説録』、および似閑書入(かきいれ)本『万葉集』に、その説をみることができる。和歌研究史上に下河辺長流(しもこうべちょうりゅう)ほど重要な位置を占めてはいないが、長流、戸田茂睡(もすい)らに先んじて、堂上(とうしょう)歌学を排斥し、『万葉集』を自由に批評している点に新時代の機運を感じさせる。[稲岡耕二]

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