本多忠籌(読み)ほんだただかず

改訂新版 世界大百科事典 「本多忠籌」の意味・わかりやすい解説

本多忠籌 (ほんだただかず)
生没年:1739-1812(元文4-文化9)

江戸中期の老中陸奥泉藩藩主。江戸に生まれ,1754年(宝暦4)父忠如(ただゆき)の後を継ぎ1万5000石を領し,当時悪化しつつあった藩財政の立直しに努力した。87年(天明7)若年寄,89年(寛政1)側用人,90年老中格となり5000石の加増をうけた。この間寛政改革を主導した松平定信の補佐役として活躍。93年定信が失脚した後も〈寛政の遺老〉の一人として改革路線を継承,98年病気を理由に辞職するまで幕政に大きな影響を与えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本多忠籌」の意味・わかりやすい解説

本多忠籌
ほんだただかず
(1739―1812)

江戸後期大名、老中格、弾正大弼(だんじょうのだいひつ)。陸奥(むつ)国(福島県)泉(いずみ)藩主(1万5000石)。元文(げんぶん)4年に生まれる。1754年(宝暦4)封を継ぎ、藩治に力を尽くすなかで、松平定信(さだのぶ)の年長の友として日ごろ交友を深め、定信の幕閣入りに伴って87年(天明7)7月勝手掛若年寄、88年5月側用人(そばようにん)、90年(寛政2)4月老中格、2万石、城主格、93年12月侍従に任じられ、定信の寛政(かんせい)の改革にあたりその施政を助けた。定信退陣後も幕閣に残って改革を継承したが、98年10月病により辞職。藩主としても積極的に領内の政治に力を注ぎ、間引きの禁止、小児の養育、人口の増加、郷蔵(ごうぐら)の設置、民生の安定などに努め、領民から徳を慕われて生祠(せいし)を建てられた。文化(ぶんか)9年12月20日卒。

山田忠雄

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朝日日本歴史人物事典 「本多忠籌」の解説

本多忠籌

没年:文化9.12.15(1813.1.17)
生年:元文4.12.8(1740.1.6)
江戸後期の老中格。父は忠如,母は松浦篤信の娘。宝暦4(1754)年8月,陸奥国泉藩(福島県いわき市)藩主に就任。以後藩財政の立て直しに尽力し,その施政は高く評価される。寛政改革を遂行した老中松平定信も,著書『宇下人言』で忠籌に最大級の賛辞を贈る。天明7(1787)年7月勝手掛若年寄に抜擢され,以後定信の右腕として政策遂行に深く関与。同8年5月側用人,寛政2(1790)年4月老中格にと異数の昇進を遂げる。しかし,蝦夷地問題などの諸政策で定信と対立することも多く,同5年7月の定信失脚には中心的役割を果たす。10年10月老中辞任。寛政期の幕政に重要な役割を果たした人物である。<参考文献>竹内誠「老中松平定信の解任事情」(『東京学芸大学紀要第3部門』第35集),『いわき市史』6巻

(安藤優一郎)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本多忠籌」の意味・わかりやすい解説

本多忠籌
ほんだただかず

[生]元文4(1739).江戸
[没]文化9(1812).12.15.
江戸時代中期の和泉藩主。忠如 (ただゆき) の子。母は松浦肥前守篤信の娘。幼名は雄之助。宝暦4 (1754) 年襲封。藩政の改革に力を尽し,間引の禁止,小児養育料の給付,移住者の受入れなどにより人口増加をはかり,用水工事に努めた。飢饉にそなえる備荒貯蓄の策を立て,領民教化のために心学道場善教舎を設立。心学を通じて松平定信と親交があり,定信が老中に就任すると,天明7 (87) 年若年寄,寛政1 (89) 年には側用人に抜擢され寛政の改革を推進した。定信失脚後も老中として幕政に参与。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠籌」の解説

本多忠籌 ほんだ-ただかず

1740*-1813* 江戸時代中期-後期の大名。
元文4年12月8日生まれ。本多忠如(ただゆき)の長男。宝暦4年陸奥(むつ)泉藩(福島県)藩主本多家2代となり,藩財政の再建に力をそそいだ。松平定信に抜擢され若年寄,側用人(そばようにん)をへて老中格となり,定信の寛政の改革に補佐役として尽力。文化9年12月15日死去。74歳。通称は雄之進,大蔵。号は水翁。
【格言など】好む物が成就の種にて候(長男忠雄への教訓)

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367日誕生日大事典 「本多忠籌」の解説

本多忠籌 (ほんだただかず)

生年月日:1739年12月8日
江戸時代中期;後期の大名
1813年没

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