岸田文雄(読み)キシダフミオ

デジタル大辞泉 「岸田文雄」の意味・読み・例文・類語

きしだ‐ふみお〔‐ふみを〕【岸田文雄】

[1957~ ]政治家。東京の生まれ。祖父・父とも衆議院議員を務めた家系で、早稲田大学卒業後、日本長期信用銀行に入行。父の死を受け出馬した平成5年(1993)の総選挙で、旧広島1区(中選挙区)から初当選。宏池会に所属。外相・自民党政務調査会長などを経て、令和3年(2021)年に首相就任。→石破茂

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岸田文雄」の意味・わかりやすい解説

岸田文雄
きしだふみお
(1957― )

政治家。東京都の生まれ。通商産業省(現、経済産業省)の官僚であった父、文武(ふみたけ)(1926―1992)の仕事の関係で1963年(昭和38)から3年間ニューヨークの現地校に通う。1976年開成高等学校を卒業。1982年3月早稲田(わせだ)大学法学部卒業後、日本長期信用銀行(現、SBI新生銀行)に入行。1987年3月、衆議院議員となっていた父の秘書となるために日本長期信用銀行を退行した。1993年(平成5)の第40回衆議院議員総選挙に父の後継者として旧広島1区から出馬し当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年総選挙からは広島1区から出馬し、以来連続9期当選。自由民主党(自民党)では「宏池(こうち)会」に所属する。2007年(平成19)第一次安倍晋三(あべしんぞう)改造内閣内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策等)として初入閣。次の福田康夫(やすお)内閣でも留任。2011年9月、民主党政権下で自民党国会対策委員長となる。2012年10月、古賀誠(まこと)(1940― )の後を受けて第9代宏池会会長となる。2012年12月に成立した第二次安倍内閣外務大臣に就任、2017年8月に自民党政務調査会長になるまで、4年半以上外務大臣を務めた。これは専任外務大臣としては歴代最長であった。外相時代の2015年12月には、日韓外相会談で従軍慰安婦問題を最終的かつ不可逆的に解決するために、日本政府が元慰安婦を支援する財団に10億円を拠出することで合意した。2017年8月、政務調査会長に就任し「ポスト安倍晋三」を目ざす方向性を鮮明にした。しかし2018年9月の総裁選では不出馬を表明し、3年後に安倍から「禅譲」されることを期待した。2020年(令和2)8月に安倍が病気を理由に退陣を表明した際、期待した禅譲は実現せず、9月1日に総裁選出馬を表明するものの、党内各派閥の支持を受けた菅義偉(すがよしひで)に大差で敗れた。総裁選後、政務調査会長を退任し、翌2021年3月自民党広島県連会長に就任した。2021年8月、菅政権下で総裁選の日程が発表されるとただちに出馬を表明した。この時点では二階・麻生(あそう)・細田派などの支持を得た菅総裁再選が有力であったが、その後、菅は出馬を断念し、岸田、高市早苗(たかいちさなえ)(1961― )、河野太郎(こうのたろう)(1963― )、野田聖子(のだせいこ)(1960― )の4人による選挙戦となった。9月29日投票が行われ、第1回投票で第1位となった岸田は、2位の河野との決戦投票でも勝利し、第27代自民党総裁に就任した。

 10月4日衆参両院での首班指名を受け、第100代内閣総理大臣となった。10月31日に行われた総選挙では議席を減らすものの、自民党単独で「絶対安定多数」を確保した。11月10日の衆参両院での首班指名を受け第101代内閣総理大臣となり、第二次岸田内閣を発足させた。総裁就任にあたり岸田は「新しい資本主義を構築」し、「成長と分配の好循環を実現」すると述べ、安倍・菅政権との違いを強調した。その一方で安倍政権下での「桜を見る会」などに関する疑惑についてはすでに解決済みとし、野党の真相究明要求にはこたえていない。

[伊藤 悟 2022年3月23日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岸田文雄」の意味・わかりやすい解説

岸田文雄
きしだふみお

[生]1957.7.29. 東京,渋谷
政治家。内閣総理大臣(首相。在任 2021~ )。祖父,父ともに衆議院議員という政治家の家庭に育つ。1963~66年,当時通商産業省の官僚であった父,岸田文武の仕事の関係で,小学校低学年期をニューヨークで過ごす。1982年に早稲田大学法学部を卒業し,日本長期信用銀行に就職。1987年衆議院議員の父の秘書を務めるようになり,父の死後,1993年の衆議院議員総選挙自由民主党の公認候補として広島県第1区から出馬し,初当選を果たした。青年局長,経理局長などの自民党の要職や議院運営委員会委員,建設政務次官,文部科学副大臣などを歴任し,2007年に第1次安倍晋三内閣の内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方・国民生活・科学技術政策・規制改革担当)として初入閣した。2012年党内派閥の宏池会の会長に就任。同 2012年,第2次安倍内閣の外務大臣に就任し,4年7ヵ月あまりの在任中,2015年には広島の被爆地を訪問したアメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領らをエスコートした。2017年には防衛大臣を兼任,また党三役の政務調査会長にも就任した。健康問題による安倍首相の辞意表明をうけて行なわれた 2020年9月の自民党総裁選挙に初めて立候補したが,菅義偉に敗れた。しかし翌 2021年9月,菅首相の党総裁任期切れに伴う自民党総裁選挙で,河野太郎,高市早苗,野田聖子を破って党総裁に選出された。同 10月4日,衆参両院本会議での首相指名選挙で勝利し,第100代,64人目の首相に就任。直後の 10月30日の衆議院選挙で自民党を単独過半数の勝利に導き,翌 11月10日の衆参両院本会議で第101代首相に選出された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸田文雄」の解説

岸田文雄 きしだ-ふみお

1957- 平成時代の政治家。
昭和32年7月29日生まれ。昭和57年日本長期信用銀行(現・新生銀行)に入行。衆議院議員の父・岸田文武の秘書をへて,平成5年衆議院議員に初当選(当選8回,自民党)。建設政務次官,文部科学副大臣,衆議院厚生労働委員長などを歴任。平成19年安倍改造内閣の沖縄及び北方対策・規制改革・国民生活・再チャレンジ・科学技術政策担当相で初入閣。同年福田康夫内閣で沖縄及び北方対策・国民生活・科学技術政策・規制改革担当相として再任された。23年自民党国会対策委員長。24年第2次安倍内閣で外相。26年第2次安倍改造内閣,第3次安倍内閣でも外相に留任。広島県出身。早大卒。

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