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李巌 りがんYi Am

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李巌
りがん
Yi Am

[生]燕山君5(1499)
[没]?
朝鮮,李朝の文人画家。世宗の高孫で,字は静中。日本では完山静仲の名で知られ,宋の毛益の画法を学び,着色の狗子図をよくしたという。遺作に『母犬図』 (韓国国立中央博物館) ,『花鳥猫狗図』 (在日本) があり,画史の伝記と符合する作品である。

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世界大百科事典 第2版の解説

りがん【李巌 Lǐ Yán】

?‐1644?
中国,明末農民反乱の指導者李自成の腹心の一人とされる人物。もとの名を李信という。河南省杞(き)県の挙人で1640年(崇禎13)ころ李自成軍に参加した。〈均田・免賦(田土の均分,租税免除)〉といった重要政策や軍規を厳格にする方策などを李自成に建策し,反乱に農民革命軍としての性格を与えた人物として注目される。しかしその伝記には不確実な点も多く,その実在を疑問視する見解もある。【谷口 規矩雄】

りがん【李巌 (R)I Am】

1499‐?
朝鮮,李朝時代の花鳥画で名高い画家。字は静仲。李朝第4代世宗の第4子臨瀛(りんえい)大君の曾孫で,杜城令の位を授かる。1545年李上佐らとともに先王中宗の肖像画を制作。南宋の毛益風の花卉・翎毛や猫狗図に独自の作風をきずき,日本においても古くから完山静仲(かんざんせいちゆう)の名で知られる。狩野永納の《本朝画史》は彼を室町時代の画僧と誤記しているが,その画風の日本近世花鳥画への影響も考えられる。【吉田 宏志】

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世界大百科事典内の李巌の言及

【李自成】より

…各地を転戦するうち,36年高迎祥が戦死すると,彼は闖王と称し一方の首領となったが,このころ反乱勢力は後退し,他の首領も多く明軍に下った。しかし40年華北を襲った飢饉をついて河南に進出した彼の勢力は再び強大となり,李巌(りがん),牛金星らの読書人層の参加をえると彼らの建言を採用し,新しい政策をかかげた。〈貴賤にかかわらず田を均しくし,三年間税を免じる〉といった経済政策,また〈殺人せず,愛財せず,姦淫せず,略奪せず〉といった厳しい軍律をとなえて民衆の支持をえたのである。…

※「李巌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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