李振平(読み)リ シンペイ

20世紀日本人名事典 「李振平」の解説

李 振平
リ シンペイ
リー/ズンピン*

07の兵士 中国人強制連行被害者協議会副会長。 花岡事件証人



国籍
中国

生年
1921年7月15日

没年
平成7(1995)年8月2日

出生地
河北省

経歴
小学校卒。農業を手伝ったのち、人民解放義勇軍に入り日本軍と戦うが、1941年日本軍の捕虜となる。石家荘・北京青島の捕虜収容所を経て、’44年7月日本に送られ、8月秋田県花岡町(現・大館市)の同和鉱業花岡鉱山にある鹿島組花岡出張所の中山寮に収容。強制連行された中国人労働者と共に花岡川水路変更工事や花岡鉱山で第一中隊第二小隊長として強制労働に従事。苛烈な重労働、劣悪な食事、補導員の虐待に抗して仲間と蜂起を計画、’45年6月30日中国人労働者800人と共に反乱蜂起・脱走したが、厳重な鎮圧態勢のもとで翌日捕えられ、首謀者として拷問を受けたあと秋田刑務所に収監。反乱の鎮圧は残虐をきわめ、100人近い死者を出し、花岡鉱山では強制連行された986人中、病死、拷問死を加え418人が犠牲となった。戦後は花岡事件の日本人を裁く軍事裁判の証人として日本に残る。中国代表部で衛兵仕事をしたのち、東京横浜転々と職を変え、’56年札幌で貿易商社を設立して経営。その後も中国人強制連行の調査に協力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「李振平」の解説

李振平 り-しんぺい

1921-1995 中国の兵士。
1921年7月15日生まれ。八路軍にはいり,昭和16年日本軍の捕虜となる。19年日本に連行され,秋田県花岡鉱山で強制労働にしたがう。苛酷な処遇に抗して20年6月30日約800人の中国人労働者が蜂起した花岡事件にくわわる。捕らえられ秋田刑務所に入獄。戦後も日本にのこり,極東軍事裁判の証人となった。平成7年8月2日札幌で死去。75歳。河北省出身。
【格言など】戦争は,国も人もみな不幸にする。若者たちによく教えなくては(遺された言葉)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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