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村上三郎 むらかみさぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村上三郎
むらかみさぶろう
(1925―1996)

画家、パフォーマンス・アーティスト。神戸市生まれ。1950年(昭和25)関西学院大学文学部美学科卒業。在学中より作品制作を開始し、卒業後は村上彦(ひこ)の名で抽象画を制作、発表していたが52年、白髪(しらが)一雄、金山明(1924―2006)、田中敦子らと美術グループ「0(ゼロ)会」を結成したのを機に、抽象美術の活動を本格化させる。翌53年、白髪と二人展を開催、その席上で吉原治良(じろう)と出会う。54年、吉原、白髪、金山らと「具体美術協会」を結成して参加、以後同協会が解散するまでの全主催展覧会に作品を出品し、主要メンバーの一人として、グループのリーダー格であった吉原にも一目置かれる独自の活動を展開した。
 村上の名を著名なものとしたのは、1955年の第1回具体美術展(東京)で披露された『紙破り』のパフォーマンスである。これはハトロン紙を貼り付けた障子大の木枠を展覧会場に配置し、それを自らの身体で走りながら突き破るものであった。従来の美術の概念のもつ定型からの逸脱を試みていた村上の真骨頂が表れた表現形態であるが、実はそれは、当時4歳の長男が障子を突き破る光景を偶然見たことから生まれたものであった。
 また同じく1955年、村上は『箱』や『空気』と題する立体作品も発表した。『箱』は、天板の中央に小さな穴を一つ空けた木箱のなかに振り子式の柱時計を仕込んだもので、穴に耳を当てて秒針の音やでたらめな時刻に鳴り響く時報を聞く仕掛けになっている。この『紙破り』と『箱』はそれぞれまったく異質な手法による作品であるが、結果として生まれた作品そのものより作品を生み出す自己の状態の方を重視する姿勢が共通しており、村上はそれを「無為」とよんだ。その境地は「作品に何か意味があり、それが解るということ、そんなことよりも驚くことが大切であり、あたらしい美の領域をどんどん拡大し、享受することを可能にするのが重要なこととなる」という言葉に集約されている。海外において、具体美術協会の活動はしばしばダダやアンフォルメルと比較されるが、そのなかでも特異な位置を占める村上のコンセプチュアルな作風は、デュシャンからの影響を指摘されることが多い。ただし、ハプニングやパフォーマンスの印象が強い村上が、実は絵画から出発し、一貫して絵画にこだわりつづけた事実も忘れるべきではない。
 具体美術協会の活動は1968年で終焉(しゅうえん)を迎えたが、村上はその後も精力的に作品を制作しつづけた。60年代後半にはハード・エッジ(1960年代前半にアメリカで隆盛した抽象絵画。抽象表現主義の系列に連なり、硬質な表現を特徴とする)風の抽象絵画を多作し、70年の日本万国博覧会でも「具体美術まつり」を催した。80年代以後は、具体美術協会の再評価と歩調をあわせて『紙破り』の再演を披露する機会が増え、94年(平成6)には20世紀の前衛美術作品を再構成した「限界を越えて」展(ポンピドー・センター、パリ)にも参加した。晩年は兵庫県芦屋市に拠点を置き、同市での美術展を中心に活動。96年、芦屋市美術館での個展を準備中、開催を目前に控えて急逝した。[暮沢剛巳]
『「具体 1955/1956――日本現代美術のリスタート地点」(カタログ。1993・PCIA) ▽「村上三郎」(カタログ。1996・芦屋市美術館)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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